青山和夫『マヤ文明』という熱い本を読む

 青山和夫『マヤ文明』(岩波新書)を読む。2年ほど前の読売新聞の書評で、杉山正明が推薦していた(2012年6月17日)。すぐ買ったのに最近ようやく読んだのだった。
 青山が強く批判するように、私も「マヤ・アステカ・インカ」文明をごっちゃにして考えていた。いや、考えたことなどなかった。青山がそのあたりのことを簡単に記している。

 アステカ王国(後1325〜1521年)と南米のインカ帝国(15世紀〜1532年)は、マヤ文明(前1000年〜16世紀)よりもずっと後、スペインが侵略した16世紀の直前に発展した。(中略)
「マヤ・アステカ・インカ」シンドロームは、あたかも縄文時代晩期から室町時代の日本列島の文化、中国の長江文明アンコール・ワットに象徴されるクメール文明がまとめて語られているようなものといえよう。

 マヤ文明はメキシコ南部とグアテマラベリーズホンジュラスエルサルバドルなど中央アメリカ北部にまたがる広大な地域に広がる石器の都市文明だった。それは日本で言えば縄文時代晩期から始まっている。スペイン人が侵略するまで鉄器を用いず、石器を主要利器として使っていた。文字を発達させ、暦、天文学、巨大なピラミッドを建設した。インド以前にゼロを発見し、数字は20進法を使っていた。
 青山は東北大学を卒業したあと、青年海外協力隊の考古学隊員としてホンジュラスに派遣された。それまで「マヤ文明」に関する知識は皆無に近かったという。ホンジュラスへ行ったのは、大学で学んだ石器研究や遺跡調査が生かせる任地だったからという。しかし、青山はマヤ文明調査にのめりこむ。
 青山の調査報告は国際学会で高い評価を受け、海外協力隊の任期が終わったあと、もう一度今度はシニア隊員として派遣され、その後アメリカの大学院に留学し、ラテンアメリカ考古学特別研究員にも選ばれる。
 本書は青山の25年にもわたるマヤ文明研究のエッセンスが一般向け(素人向け)にやさしく語られている。マヤについて全く無知だった私が、それでもマヤはインカやアステカとは別なんだということを知ったし、マヤのピラミッドの意味や構造、歴史などについて多少なりと理解することができた。
 野外調査で気を付けるべきこととしては、蚊とダニ、そして毒蛇が挙げられている。蚊が媒介する病気として、マラリアデング熱がある。そのデング熱について、

雨季になると、マラリアだけでなく、デング蚊によるデング熱が流行る。マラリアには予防薬があるが、デング熱にはない。私もデング熱にかかったが、3日ほど40度以上の高熱が続いた後、2週間ほど微熱が下がらなかった。頭痛、筋肉痛、関節痛が激しく、全身に赤い発疹ができて力が出ない。解熱剤を服用して、安静にしているしかないという、極めて悲しい病気である。

 おいしい食べ物について、

 伝統的な調理法では、石灰水で処理したトウモロコシの粒を製粉用石盤メタテと石棒マノで挽きつぶし、スペイン語でマサと呼ばれる練り粉の玉をつくる。マサを団子状にしたものを両手で叩きながら薄く平たい円形にして、土製盤や鉄板の上で焼いたのが、私の大好物のトルティーヤである。トルティーヤは、肉、マメ、野菜などを挟んで食べる、現代料理のタコスの皮でもある。焼きたての練り粉から作った、分厚く、ほかほかのトルティーヤほどおいしいものはない、といつも思う。

 そんなに言われれば食べてみたい。日本にもあるよと言われるかもしれないが、以前読んだ上原善広『被差別の食卓』(新潮新書)でも、アメリカ南部の黒人ハーレムの店で食べたフライドチキンの味は、日本に帰ってきて食べた有名なチェーン店のフライドチキンとは全く別の味だったと書かれていた。現地で食べるトルティーヤはきっと特別うまいに違いない。
 マヤ文明について青山が熱く語っている。それがとても気持ち良かった。「あとがき」で青山は書いている。「マヤ文明に関する岩波新書を50歳になる前に出版するのは、私の長年の目標の一つであった」と。本書が発行された2012年はちょうど青山が50歳になった時だった。「守護天使のように研究生活を支えてくれる妻ビルマに深く感謝します」とあるのも好感がもてた。ビルマとは最初の海外青年協力隊で派遣されたとき出会って、「なんて笑顔が素敵な女性なんだろう、神様の恵みだ」と思ったと書いている。書評した杉山も「まことにほほえましい」と書いていた。


マヤ文明――密林に栄えた石器文化 (岩波新書)

マヤ文明――密林に栄えた石器文化 (岩波新書)