青木晴夫「滅びゆくことばを追って」が面白い

 言語学者千野栄一の言語に関するエッセイ「ことばの樹海」(青土社)が面白かったが、そのなかで千野が、青木晴夫の「滅びゆくことばを追って−−インディアン文化への挽歌」を推薦している。

 ある一人の日本人がアメリカのカリフォルニア大学の言語学科を卒業し、「ネズパース語を調査する気はないか」という金髪・長身の女性の主任教授からの一言で、自動車の運転を習い、それで現地に行って調査した話を書いた本がある。こう書くとまるでなんでもないような話だが、実はこの筆者青木晴夫は言語学者にしておくのはもったいないような文才の持主で、しかも書かれた内容がしっかりしているという願ってもない本である。
(中略)
 拙文の筆者はまがりなりにも言語学をなりわいとしているので、時おり「言語学を学びたいのですが、何を読んだらいいのですか」という質問を受けるが、その時は常に、「この本を読みなさい。そして、もしつまらなかったら、言語学はお止めになった方がいい」と答えている。しかし、これまでにこの本を読んで、つまらなかったので、言語学は止めにしますという人に会ったことがないのを見ればよく分かるように、絶対的におすすめの本である。
(中略)
 言語の調査について書いたものは面白いものが多いが、この本はその中でも白眉である。

 それで私も読んでみた。本当にすばらしい文才の持主だ。ユーモアがある。ユーモアというのは一朝一夕に身に付くものではなく、その人の生のスタイル、人生の姿勢ではないかと思った。
「滅びゆくことばを追って−−インディアン文化への挽歌」(三省堂選書)の冒頭を引く。

 カリフォルニア大学の文学関係のへやがある建物の一つに、ドウィネル・ホールというのがある。南側から見ると2階建て、東から見ると3階、北から見ると5階、西から見ると何が何だか分からない妙な建物だ。学生の話では、建築学で落第点をもらった男が、教授たちの出入口がわからなくなるように腹いせに設計したのだろうという。1階にある教室を出て、しばらく歩いていると階段を1段も上らずに4階の教官室の前へ出る。したがって、この建物のようすがようやくわかりかけるころには、紅顔の1年生が、卒業前になっている。
 この建物の西側、すなわち正体不明の側に地下室がある。いわば楽屋側であって、トイレットペーパーの巻物置場とか、小使いさんのほうきを入れる所などが並んでいる。その間にわが言語学教室の助手室があった。窓はあるけれども半地下の状態であるから、地面はすぐそこである。居ながらにして窓外の葉っぱの裏側のデンデン虫が見えた。

 建物の説明をしていて突然葉っぱの裏側のデンデン虫になった。この急激な視点の転換の見事さ! ここから始まるインディアンのネズパース語の調査の面白いこと。青木は優れたインフォーマント(言語学のフィールド調査などで研究者にデータを提供する人)にも巡り会う。リズという80歳のインディアンのおばあさんに気に入られ、後日「別れるときに、今からは、カーツァと呼べ、と言った。これは、彼女が、わたしの母の母に当たる呼び方である。傍系から直系に昇格したわけである。」と深い信頼を得る。
 あとがきにこんなエピソードが紹介されていた。

 昭和48年、リズおばあさんが91歳の誕生日から3日目の、1月24日になくなりました。わたしは息子さんたちにポールベアラー(ひつぎを持つ人)として招かれ、お葬式に出席しました。

 私もわが師山本弘の葬儀で本役を仰せつかった。棺桶を担ぐ役で、本来家族が当てられるものだ。山本の先輩の年輩の画家が、どうして彼が本役をやるのかと未亡人に正したと聞いた。だから、青木がポールベアラーに選ばれたことの嬉しさがよく分かった。
 この本に一つだけ不満がある。230ページしかないことだ。これが400ページくらいあったら良かったのに。
 おお! 今知ったが、岩波から発売されている。

ことばの樹海

ことばの樹海