子安宣邦『日本近代思想批判』を読んで

 子安宣邦『日本近代思想批判』(岩波現代文庫)を読む。子安がさまざまな雑誌に書いた10編の論文をまとめたもの。タイトルから予想されるような難解な論文ではなく、なかなか楽しめた。とくに丸山真男の『日本政治思想史研究』と和辻哲郎の『風土』に対する厳しい批判が興味深かった。
 最初に柳田国男の「一国民俗学」が批判される。柳田は民族学的調査者をひっきょう「旅人」の視線だという。それに対して国ごとのフォクロアの学(一国民俗学)の資料収集者とは、「精密に微細なる内部の心理的現象にまで調査を進め得る」ような調査対象に内在する視線の所有者だという。そして柳田はその民俗学研究を通じて日本人の信仰の原基形態、「固有信仰」を明らかにすることを重視すると言われる。それに対して子安は批判する。

 「固有信仰」とは、旅人としての外部の視線を排除して、ただ〈内なる視線〉をもって民俗的な祭と信仰から柳田が読み取り、読み出していった語りである。だが〈内なる視線〉とは論理の矛盾なのだ。それは決して異なる物として事象に突き当たることはなく、事象を見つめることはなく、ただ親しきものとして事象を内部に回収する視線でしかない。〈内なる者〉という特権者の記述とは、したがってただ心の思いを、軽くは己の趣向を、重くは己の祈りを綴っていくことでしかない。
 昭和7年に高らかにその成立を告げた「一国民俗学」は、日本の近代国家の帰結としての戦争と敗戦のなかで、「国民の結合」に捧げられた己の祈りを「固有信仰」の語りに残して、その生命を終えたのである。

 和辻哲郎『風土』が取り上げられる。和辻は京都帝国大学助教授のとき、37歳で道徳思想史研究のためドイツへ3年間の留学を命じられる。「この社会的な地位と年齢でのヨーロッパへの留学とは、もはや新しい学術の受容などは意味しない」と子安は書く。「…和辻の著書『風土』とは、この旅行者的眼差しによる文化的知識の再構成の記録である」。

 1927年の2月に日本を発った和辻は、(中略)シンガポールを経由し、インド洋を渡り、アデンを経て地中海に入るという長路の船旅をする。この旅行体験から、いわば通過者の体験から和辻は臆面もなく経由した各地の文化類型的な考察を展開していく。インド洋を渡った際の強烈な暑気と湿潤の体験から、「モンスーン」型という風土論的な文化類型が構成される。やがてアデンからアラビア半島をかすめるように経由した体験から乾燥という自然的特性に対応する「沙漠」型という風土論的文化類型が構成される。そして地中海に入り、南欧の風土に接した和辻は「モンスーン」の湿潤と「沙漠」の乾燥の両者を適度に含み込んだ夏の乾燥と冬の湿潤というヨーロッパの自然的特性を見出すのである。そしてこの夏の乾燥と冬の湿潤という自然的風土の上に「牧場」型というヨーロッパの文化類型が構成される。この「モンスーン」から「沙漠」を経て「牧場」にいたる旅行体験を通じての文化類型の構成過程を、和辻はみずから「旅行者の体験における弁証法」だという。

ここに見られるのはいわば歴史的なパロディーである。アジアとはヨーロッパからの旅行者(オリエンタリスト)の観察の対象であった。アジアとはヨーロッパとの対比からその文化類型が構成され、社会類型が構成され、そして生産様式が特定される対象地域であった。だが1930年代にあっては、極東の日本からの旅行者がその旅行体験を通してヨーロッパの文化類型を構成していくのである。この日本からの旅行者はヨーロッパの文献学的東洋学者と同様に、中国・インドからギリシャ・ローマにいたる古典的世界の知識、ヨーロッパのヘレニズム・ヘブライズムという思想伝統にかかわる知識・教養を十分に具えている。いわばヨーロッパ文献学が近代日本の高等教育を通して育てた高度の文化的知識をもった認識者が、今度はヨーロッパの旅行者としてその観察を通してヨーロッパ型文化類型を構成するのである。

 「ここに見られるのはいわば歴史的なパロディーである」と言っている。かなり厳しい。
 白眉なのは第III部「近代と近代主義」で、戦前の「近代の超克」と丸山真男が批判される。「近代の超克」は戦争開始後に開かれた有名な座談会で、小林秀雄林房雄などの「文学界」同人グループに、西谷啓治鈴木成高など京都学派、それに科学者、映画評論家、詩人などを交えてなされたもので、この「近代」とは西洋文化を指している。しかし、子安は言う。「世界史的立場」の座談会で、彼らの議論に終始顕在していた主題は「近代=ヨーロッパ世界史」であるとすれば、隠れた議論の主題は「支那」であり「支那事変」であった、と。座談会の参加者たちと比較して、子安は竹内好を高く評価する。ついで敗戦翌年に発表された丸山真男の論文が取り上げられる。
 丸山真男の論文「超国家主義の論理と心理」は発表されると広い反響を呼び起こした。丸山に対する批判は子安のうちでも大きなテーマになっている。ここではその一部を紹介する。

 「超国家主義の論理と心理」をこのように見てくれば、丸山における日本近代への反省的な認識が、いかに日本社会の構造的な病理を剔出することに帰着してしまうか、あるいは日本近代の反省的叙述が、いかに日本社会の構造的な病理の追跡的な叙述をもたらしてしまうかは、もはや明らかであるだろう。かくて反省的に問われていた日本近代は、丸山にあっては、構造的な病理を剔出する視覚のうちにその不完全で非合理な姿をたださらすことになるのである。

 最初に難解な論文ではないと書いたが、まとめてみようとすると、どうしてなかなか難解だった。それでも読んでいるときは結構楽しめたのだった。