松浦理英子『奇貨』を読む

 松浦理英子の新作『奇貨』(新潮社)を読む。私としては満足しなかった。松浦は好きな作家の一人だ。初期の『葬儀の日』『セバスチャン』『ナチュラル・ウーマン』等が好きだった。松浦は作品のなかで、女性主人公をレズビアンでマゾに設定する。マゾという設定は私にとって少々イタいが、レズビアンは社会に対して胸を張ることがない屈折した心情をとることになる。この屈折した感情が私には好ましく、吉行淳之介にも共通していると思われる。少なくとも倉橋由美子には全くない姿勢だ。
 ところが松浦は1993年にベストセラー『親指Pの修業時代』を発表する。足の親指がペニスという設定だ。扇情的に捉えられてかベストセラーとなる。これがつまらなかった。それで次の『犬身』は読もうとも思わなかった。それから5年目に出たのがこの『奇貨』だ。
 もてない45歳の男がいて、糖尿病でもう勃つこともない。たまたまレズビアンの女性と意気があって同棲することになる。だが彼女に親しい女友達ができたとき、嫉妬で彼女の部屋に盗聴装置を仕掛けてしまう。
 いや、もっと自然な初期の作品のようなレズビアンの女性を主人公にした作品が読みたかった。どうしてもてない男なんかを持ってこなければいけないのか。この作品は100ページにちょっと欠けるので、1985年に書いた短篇をつけて単行本にしている。初期の短篇を持ってこなければならないなんて、どんなに寡作なんだろう。
 それでも松浦が好きな作家であることは変わりがない。私は彼女のファンなのだ。
 新潮社装幀室による装幀が古くさい感じがする。新潮社装幀室は本の定価や発行部数まで決めている部署だから、大して売れないだろうと装幀にかける予算を削ったのではないだろうか。いかにも経費が少なくて済んだという装幀だ。そんなことを考えるのも私がファンだからだ。


奇貨

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