『大江健三郎自選短篇』を読む

 『大江健三郎自選短篇』(岩波文庫)を読む。最初の短編「奇妙な仕事」から1992年の「マルゴ公妃のかくしつきスカート」まで、作家自身が選んだ23篇が収録されている。総ページ数840ページという大著。価格が本体1,380円と安くはないが、ページ単価で考えると、1ページ当たり1円64銭と極めて安価だ。ちなみに高価とされている講談社文芸文庫佐多稲子『月の宴』がページ単価4円80銭になる。
 短篇集となっているが、「飼育」64ページ、「セヴンティーン」68ページ、「新しい人よ目ざめよ」63ページなど中篇に類するものも含められている。
 さて、大江の短篇を初期から晩年まで編集している。それも作家が気に入って選んだものばかりだ。初期短篇では「奇妙な仕事」「死者の奢り」「飼育」「空の怪物アグイー」など、中期短篇では「雨の木(レインツリー)」シリーズから3篇、「新しい人よ目ざめよ」シリーズから4篇、「静かな生活」「河馬に噛まれる」など、後期短篇では「マルゴ公妃〜」「火をめぐらす鳥」などが収録されている。さすがに初期短篇からして優れている。並の作家ではなかった。
 後期短篇に入っている「火をめぐらす鳥」は何度も読んだのだった。詩人伊東静雄の詩「鶯」を巡って、大江を思わせる主人公が旧友との思い出をからめて解釈する。主人公は若い時にこの詩に出会い、「一挙にそれを理解したと信じてしまった。」と書く。それが晩年、仏文学者の杉本秀太郎の読み解きに出会って、自分が信じていた解釈が誤りであったことを知った。しかしラストで息子のイーヨーを連れて出かけた先で、電車との接触事故にあってしまう。その時、もう一度詩の解釈がよみがえる。
 とても難しい短篇だ。伊東静雄の詩、ドイツ詩の影響を受けているという難解な詩の解釈を巡って、大江らしき主人公の理解、杉本の読み解き、詩とからめたもう亡くなっている旧友との思い出、それらが絡まって、複雑で魅力的な短篇に仕上がっている。何度か読んだが、よく分かったという境地に立てない。しかし、やはり魅力的なのだ。
 ほかにも強く興味を惹かれる作品がいくつもある。大江健三郎自選短篇はそのまま傑作短篇と言い換えうるものなのだ。