吉行淳之介『娼婦の部屋・不意の出来事』を読み直す

 吉行淳之介『娼婦の部屋・不意の出来事』(新潮文庫)を数十年ぶりに読み直した。ただいくつかの短篇はいろんなアンソロジーに収録されているので、何度も読み直したものもある。
 吉行淳之介大江健三郎川端康成とともに若い頃夢中になって読んだ作家だ。私は吉行が好きだったが、なぜ自分が吉行を気に入っているのか自己分析をしたことがなかった。吉行がどこかで自分は大多数の読者にとってはエロの作家で、少数の読者にとってはエロチシズムの作家だと書いていた。吉行のエロチシズムに惹かれていたのではないことははっきりしていたが。
 本書は解説を藤田宜永が書いている。その日付が平成14年4月となっていて、奥付でみると平成14年6月37刷改版となっているので、その際に解説者を変えたのだろう。吉行が亡くなってから14年後になる。その解説から、

 今回、吉行作品の解説を頼まれたことには、万感の思いがある。
 高校生のとき、彼の短編集を読んだ。それがきっかけで小説を書いてみたいという気持ちになった。かれこれ35年ほど前の話である。当時はプロを目指すなどという発想はまるでなかった。彼のような小説が書けないのならば、せめて主人公みたいな生き方ができればと思うほど憧れた。娼婦との深い付き合いはできなかったけれど、思春期の私の女の付き合いに大きな影響を与えたのは紛れもない事実である。
 大ざっぱに言ってしまえば、吉行作品は、女に対する深い愛情と、埋め尽くせない違和感とを同時に持った男の小説ということができる。

 これを読んで大きな違和感を感じた。自分が吉行作品に惹かれるのは、藤田が書くような男女の関係のことではなかった。私は吉行の小説の主人公が示す「屈折」が好きなのだった。過剰な自意識がなせる屈折した姿勢が好きなのだった。
 吉行の『闇の中の祝祭』に愛人と妻との三角関係が描かれている。主人公が愛人と会うために借りている部屋があり、そこへ妻とおぼしい者から薔薇の花束が届く。10日ほど前にも花束が届いていて、主人公はそれを物置へ投げ入れて鍵をかけていた。

 メッセンジャーの少年の腕から、大きな薔薇の花束を両腕でかかえ取り、そのまましばらく彼は佇んでいた。
 腕の中の花を隠すとすれば、あの物置の扉を開かなくてはいけない。祝福を受けた主賓に似た姿勢で佇んでいる自分に気付くと彼は激しく舌打ちし、いそいで、物置に歩み寄っていった。

 「主賓に似た姿勢で佇んでいる自分に気付くと彼は激しく舌打ちし〜」。ここではこのように自意識を働かせてその姿勢を反省しなければいけない場面なのだ。
 それに対して、屈折のない倉橋由美子は短篇集『婚約』に収録された「鷲になった少年」で三角関係を描く。銀座でデートしている女性Lと恋人Sを少年Kが襲う。

(Kの)ナイフはSの胸、そして脇腹を二度えぐった。Sはその指を仏像の手印のようにふしぎな形に結び、広い胸を張って刺されるにまかせていた。LはそれからSが一種困惑の色をうかべてたよりなく倒れるのをみた。まるでこれは映画のロケみたいだ、と彼女はおもった。まわりには通行人の多くの眼が群がって立ちどまっていた。Lは主演女優のように立ちつくしたまま、ふいに目のまえに開いた非現実の割れめに堪えていた。

 「 Lは主演女優のように立ちつくしたまま〜」と、自己陶酔の姿勢を反省することがない。
 吉行の過剰な自意識がなせる屈折した姿勢が好きなのだった。

娼婦の部屋・不意の出来事 (新潮文庫)

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婚約 (新潮文庫 草 113A)

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