渡辺信一郎の「江戸の知られざる風俗」(ちくま新書)を読む。副題が「川柳で読む江戸文化」、著者は古川柳・狂句の研究者で、江戸の短詩型文学は30万句を優に越えるといい、34年間の研究過程で3回ほど通読し、さらに4回めの拾い読みをしているという。そして、ここには江戸の庶民文化の全てがあるという。なるほど。
面白いエピソードをいくつか。
蛸(たこ)は芋(里芋)が好物で、海から上がって芋畑を荒らすという。本当かどうかは、わからない。『和漢三才図会』に、
蛸、性、芋を好き、田圃に入り、芋を掘って食う。其の行(ありく)こと目を怒らし、八足を踏て、立行す。
とあり、この典拠は不明である。狂句には多くこれが詠材になっている。
として、いくつかの川柳が並べられている。解説を略して句のみを抜き出すと、
芋 は た け 足 の 長 い に 油 断 せ ず
白 波 の 海 か ら し の ぶ 芋 畑
芋 畑 蛸 の 足 跡 ふ じ の 花
ど ろ ぼ う を 桜 煮 に す る 蛸 の 主
実は山国育ちの私は25歳まで、タコが海から上がって芋畑を荒らして食うという話に対して半信半疑だった。子供の頃絵本で読んだことがあったから。
次に当時の宝くじについて。
富突きは、大きな木箱に入れてある桐の木片を、十分に揺り動かしてから、箱の上に穿ってある小孔から、長さ3尺、穂先1寸の錐を下ろして木札を付き当て、それを引き上げて木片に書かれた番号を読むという仕組みである。木箱の中には、約1万枚の木札が収められる。(中略)
最初に突かれた番号が、一の富として最高で当り金が大略100両である。次が二の富、さらに三の富と次第に金額が減って行く。百番目が突留めの大当たりとなっている。一の富が当たっても2割は社寺への奉納金を取られるので、およそ手取りは80両である。
一攫千金を夢見る庶民たちは、市内の札所で富札を購入する。売値は1分(1両の4分の1。1朱銀で4枚、銭では1,000文)であるから、蕎麦1杯が16文の当時、庶民にとっては大金である。
てことはだ、一の富が80両だから、売値の1分の320倍ということになる。これを現在の金に換算すると、蕎麦1杯を400円としたら、富札1枚が25,000円で、1等は800万円ということになる。宝くじが1枚25,000円だったら高いなあ。
さて、「ちゃんころ」の語源も証される。中国人の蔑称ではなかったようだ。
ち ゃ ん こ ろ が 無 い と 狐 の 蕎 麦 を 掘 り
この句には、珍しい江戸語彙が二つも使われている。謎解きめかした趣向として、意識的に作為したものであろう。「ちゃんころ」については、『俚諺集覧』に、
ちゃんから。銭のことを云。又チャンコロ、又チャンとばかりをも云。
とあり、「ちゃん」というのは「銭」の唐音「チェン」が訛ったものと言われる。この「ちゃん」の用例は、井原西鶴の『日本永代蔵』に見られるので、江戸の中期からの通称であると思われる。(中略)
この「ちゃん」に、接尾語の「ころ」が付随して「銭(ちゃん)ころ」となったものらしい。したがって、本句の前半は、「手許に金が無いと」「当てにして金銭が手に入らぬと」という意味であることになる。
「狐の蕎麦」については、煩雑なので簡単に書くと、俗に狐に化かされて、ミミズを蕎麦だとおもって食わされることから、「狐の蕎麦」は「ミミズ」の異称としている。蔵宿から金銭を借りようとした武家が、借金を断られて、仕方なく隅田川の岸辺の湿地帯でミミズを掘り、捕ったミミズで釣りをして、釣った魚を晩の菜にしようと考えた。その貧しい旗本の困惑ぶりを穿った句とのこと。
- 作者: 渡辺信一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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