
前川誠郎『デューラー 人と作品』(講談社)を読む。現在国立西洋美術館で、小企画展「物語る黒線たち――デューラー「三大書物」の木版画」が開かれている。それで見に行く前に本書を読んだ。初版が発行されたのが50年も前なので図版はすべて白黒だが、さすがにデューラーの専門家だけあって、画家の生涯と作品を丁寧に解説している。
展覧会の作品リストを見ると、「書斎の聖ヒエロニムス」は展示されているが、一番見たい「メレンコリアⅠ」は来てないようだ。前川誠郎によれば、デューラーは油彩と版画を制作しているが、お金になったのは版画作品で、油彩は手間がかかった割に収入は少なかったらしい。
前川によるデューラーの版画芸術の絶頂を飾る記念碑は、「騎士と死と悪魔」、「書斎の聖ヒエロニムス」、「メレンコリアⅠ」だと言う。その「メレンコリアⅠ」は何を表しているのか謎とされてきた。前川はこれについて、
「メレンコリアⅠ」は、特に精神的労働に携わる人びとたちのためのものである。デューラーは自身の体験からして、悪しき星が心情に及ぼす憂鬱を識っていたように思われる。画中の多くの個々の事柄はわれわれにとって縁遠いものとなってしまったが、全体の気分はわれわれにも完全に通じるもので、その効果もきわめて近代的であるから、描かれてから経った400年の歳月をわれわれは忘れ去ることができる。
と語っている。これを読んで納得できるとは思えなかった。むかしストライプハウス美術館で開かれた瀬木慎一さんの講演会で、「メランコリアⅠ」についての独自の解釈を聞いたことがあったが、それも納得できるものではなかった。
「メランコリアⅠ」について、その意味をchatGPTに訊いてみた。
アルブレヒト・デューラーの《メランコリア I》(1514)は、西洋美術史上もっとも解釈が難しい版画の一つで、「創造の苦悩」や「天才のメランコリー(憂鬱)」を象徴していると考えられています。以下に、主要な読み解きポイントをわかりやすくまとめます。
🌓 全体のテーマ:天才が直面する憂鬱と創造の限界
ルネサンス期には、四体液説と占星術から、“メランコリー=土星の影響を受けた天才の気質”という考えが広まっていました。
デューラーの作品では知性・創造性が高いほど、解けない問題や限界に苦悩するという思想が視覚化されています。
🔍 主なモチーフと意味
- 翼のある女性「メランコリア(憂鬱の精霊)」
コンパスを持ちながら思い悩む姿は、理性・幾何・創造の象徴でありつつ、何かを生み出せない葛藤を示します。
- 道具の山(ノコギリ、鉋、コンパス、天秤など)
芸術家や職人の「創造の技法」を象徴。しかし、乱雑に置かれている →知力はあるが創造が停滞している状態。
- 多面体と球
幾何学・数学への関心の象徴(デューラー自身の専門)。「完全な形」を求めても到達しない数学的・哲学的難題を示唆。
- 魔方陣(4×4の数字)
最後の行が「1514」(制作年)を示す。
完璧な秩序の象徴。しかし作品全体は混沌としており、秩序への憧れと到達不可能性の対比。
- 砂時計・秤・鐘
時間、真理、判断といった抽象概念を象徴。これらもまた「人間が完全に支配できないもの」。
- 座り込む犬と子ども(見習い天使)
精神的疲労と無力感の象徴。子どもは数学書に寄りかかり、手が止まっている →知識があっても答えに辿り着けない状態。
🧭 もっとも有力な解釈まとめ
① メランコリア=創造的天才の苦悩
創造への衝動はあるが、限界や不可能に突き当たる。(ルネサンス的“天才の憂鬱”の表現)
② 人間理性の限界
コンパス・計測器・数学などの「理性の象徴」があふれているのに、答えは見つからない。
③ デューラー自身の内面
数学書出版の失敗や芸術と科学の間で揺れた当時のデューラーの心理が反映されているとも言われる。
🖼️ 結論:何を言いたい作品か?
「人間は知性をもってしても、世界の完全な理解には到達できない」
そのギャップが引き起こす精神状態が“メランコリー(憂鬱)”として描かれています。
まだよく分からない。アンゼルム・キーファーも「メランコリア」というタイトルのデューラーの版画の多面体を立体作品にしたものを発表していた。
