荷風の通った大黒屋閉店

 届いたばかりの東大出版会のPR誌『UP』を流し読みしていた。多田蔵人が「東京大学南原繁記念出版賞を受賞して」5「『永井荷風』との距離」というエッセイを寄せている。多田はその『永井荷風』(東京大学出版会)でこの賞を受賞している。東大出版会の惹句より、

江戸文化へのまなざしを通して、近代へ鋭い批判をくわえたとされる永井荷風。さまざまな創作活動をしながらも小説家として生きた荷風にとって、江戸文化は耽溺するものではなく、新しい意味での芸術としての小説を創出する場だったことを描く。

 

 多田のエッセイに突然大黒屋の名前を見つけた。 

(……)折しも平成31年荷風の生誕140年と没後60年が重なる年で、東京へ出かけていって話す機会を何度かいただいた私は、その前年に明治維新150年記念事業を手がけた事実などおくびにも出さずに講演を行った。この頃、市川の大黒屋、浅草のアリゾナキッチン、同じく浅草のアンヂェラスが閉店した。いずれも荷風の通った店である。

 

 12年前、私はM信託銀行に派遣で勤めていた。昼休みに佐藤春夫『小説永井荷風伝』(岩波文庫)を読んでいると、職場の女性が、荷風さんいつもうちのおばあちゃんのお店でカツ丼を食べていたんですと言う。亡くなる前の日も来て食べたそうです。

 お店はどこにあるの? 京成八幡駅の駅前です。駅の北口すぐ前の大黒家ってお店なんですよ。いつも荷風さんが食べていた荷風セットっていうのもあるんです。

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大黒屋

 

 それを聞いて彼女のおばあちゃんの店、京成八幡駅前の「大黒屋」に行ってみた。大黒家さんは建て替えられたらしくきれいなビルになっていたが、彼女のおばあちゃん増山孝子さんは元気で店に出ていた。荷風はいつも一人で来て同じテーブルに座り、そのテーブルに先客があると帰ってしまった。お昼といってもほかに客の少ない午後2時頃に来ていた。晩年住んでいたのが店の裏手だった。注文は並カツ丼と上新香、それに日本酒1合だった。現在もそれを荷風セットとしてメニューに載せている。

 永井荷風は昭和34年4月30日に一人で住んでいた家で孤独死していた。79歳だった。断腸亭日乗には3月11日から20日まで毎日「正午大黒屋」と記されているという。遺産は4千万円とも伝えられている。60年前の4千万円は現在4億円くらいだろうか。

 その大黒屋が閉店したという。もう一度行ってみたかった。