永井荷風『鴎外先生』を読む

 永井荷風『鴎外先生』(中公文庫)を読む。副題が「荷風随筆集」、3分の1強が鴎外について書かれている。荷風は鴎外を尊敬し師と仰いでいる。こんなことを書いているほど。

 

文学者になろうと思ったら大学などに入る必要はない。鴎外全集と辞書の言海とを毎日時間を決めて三四年繰返して読めばいいと思って居ります。

 

 鴎外は大正11年7月9日に亡くなった。荷風は通夜と葬儀に参列し、以後毎年命日に墓参する。本書は大正12年から亡くなる前年の昭和33年までの7月9日の日記を「鴎外忌」として『断腸亭日乗』から拾っている。昭和3年は空模様あやしければ辞す、とある。昭和6年には鴎外忌のことに触れていない。昭和9年には鴎外先生13回忌なり、とある。昭和12年には鴎外忌には触れず、吉原の娼妓について書いている。

 

吉原の娼妓には床上手なるもの稀なるが如し。余20歳より24歳頃までは芳原のみならず洲崎にも足繁く通ひしことあれど、閨中の秘戯人を悩殺する者殆絶無と云ひてもよきほどなり。之に反して其頃より浅草の矢場銘酒屋の女には秘戯絶妙のもの少なからざりき。三四十年の星霜を経たる今日、再びこの里に遊ぶこと既に数十回に及ぶといへども、娼妓には依然として木偶に均しきもの多し。

 

 「玉の井見物の記」では料金表など詳しく記録している。

 

(……)又浴室を設けたる処もあり。1時間5円を出せば女は客と共に入浴すると云ふ。但しこれは最も高価の女にて、並は1時間3円、一寸の間は壱円より弐円までなり。路地口におでん屋多くあり。こゝに立寄り話を聞けば、どの家の何と云ふ女はサービスがよいとかわるいとか云ふことを知るに便なり。7丁目48番地高橋方まり子といふは生れつき淫乱にて若いお客は驚いて逃げ出すなり。7丁目73番地田中方ゆかりと云ふは先月亀井戸より住替に来りし女にて、尺八専門なり。7丁目57番地千里方智慧子と云ふは泣く評判あり。曲取の名人なり。7丁目54番地工藤方妙子は芸者風の美人にて部屋に鏡を2枚かけ置き、覗かせる仕掛けをなす。但し覗き料弐円の由。(後略)

 

 さて、巻末に付録として正宗白鳥の「永井荷風論」が載っている。そこに、「以上2篇(「矢筈草」と「書かでもの記」)の如き、あるいは「日和下駄」など読むと、明治以来の随筆家としても氏に及ぶものなしと思われる」と絶賛している。

 

 いや荷風についていささか偏った紹介になってしまった。ま、これも荷風の一面であることは確かだから、諒とされよ。