永井荷風に対する石川淳の苛烈な追悼文

 丸谷才一の「コロンブスの卵」(筑摩書房)を読んだら、石川淳の「文学大概」(中公文庫)のことを優れた文学入門書だと推薦している。

 文学入門の書といふものがある。おほむね詰まらぬことがゴチャゴチャ書いてあるだけで、読むに価しない。なるべくなら、つきあわないほうがいいだらう。そのせいで大事なことを学びそこねるとは思へない。しかしここに一冊、石川淳のあらはした文学入門があつて、これは初心者の手引としてほとんど唯一至上のものである。

 早速読んでみた。難しくて手に負えなかった。ただ1か所荷風に触れているくだりが興味を惹いた。

……すなはち、編集部の好意あるすすめにも係らず、ただちに鴎外を再論する気持ちになれない所以である。
 すでに鴎外を再論しないとすると荷風といふことになる。しかし、目下わたしが荷風集中で心ひかれるのは「妾宅」一篇である。そして、荷風は「妾宅」にかぎると、たつた一行書いてわたしの荷風論はしまひになる。

 これも岩波文庫の「荷風随筆集(下)」に収められている「妾宅」を読んでみた。わずか30ページ足らずの短いものである。妾宅は小さく暗く寒い家で、珍珍先生はそれを好み、世間との交渉を避けて孤独に妾宅に隠棲している。芸者上がりのお妾の化粧や家事を細々と書いていく。お妾は文字を知らず、作家の話し相手にはならないだろう。先生はそんなものは期待していない、ということは彼女の体にしか興味がないということか。お妾の心情は何も語られず、ただ先生の感想がだらだら語られていく。こんなもののどこが良いのかこれまた分からなかった。
 しかし石川淳は好きな作家の一人だ。昔誰かが、形而上学自然主義の系譜があると言って、石川淳安部公房大江健三郎倉橋由美子と繋いでみせた。それでつぎに石川淳安吾のいる風景 敗荷落日」(講談社文芸文庫)を読んだ。これは実におもしろかった。
 文学者たちが取り上げられている。太宰治安部公房坂口安吾永井荷風宇野浩二武林無想庵久保田万太郎三好達治本居宣長カミュ等々。無想庵が批判されている。すると、山本夏彦の「無想庵物語」(文春文庫)はこの石川淳への反論だったのか。
「敗荷落日」は永井荷風を論じている。「敗荷」の意味を知らずに辞書を引いたら、「秋になって風などに吹きやぶられたハスの葉」とある。「荷」がハスのことだった。では荷風は蓮に吹く風だったのか。石川淳はこの標題を「敗荷落日」としている。ここにもう荷風に対する評価がはっきり表されている。
 これも10ページほどの小編だが、冒頭と末尾を引いてみる。

 一箇の老人が死んだ。通念上の詩人らしくもなく、小説家らしくもなく、一般に芸術的らしいと錯覚されるようなすべての雰囲気を絶ちきったところに、老人はただひとり、身近に書きちらしの反故もとどめず、そういっても貯金通帳をこの世の一大事とにぎりしめて、深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいたという。このことはとくに奇とするにたりない。小金をためこんだ陋巷の乞食坊主の野たれじにならば、江戸の随筆なんぞにもその例を見るだろう。しかし、これがただの乞食坊主ではなくて、かくれもない詩文の家として、名あり財あり、はなはだ芸術的らしい錯覚の雲につつまれて来たところの、明治このかたの荷風散人の最期とすれば、その文学上の意味はどういうことになるか。
 おもえば、葛飾土産までの荷風散人だった。戦後はただこの一篇、さすがに風雅なお亡びず、高興もっともよろこぶべし。しかし、それ以後は……何といおう、どうもいけない。荷風の生活の実情については、わたしはうわさばなしのほかはなにも知らないが、その書くものはときに目にふれる。いや、そのまれに書くところの文章はわたしの目をそむけさせた。小説と称する愚劣な断片、座談速記なんぞにあらわれる無意味な饒舌、すべて読むに堪えぬもの、聞くに値しないものであった。わずかに日記の文があって、いささか見るべしとしても、年ふれば所詮これまた強弩の末のみ。書くものがダメ。文章の家にとって、うごきのとれぬキメ手である。どうしてこうなのか。荷風さんほどのひとが、いかに老いたとはいえ、まだ八十歳にも手のとどかぬうちに、どうすればこうまで力おとろえたのか。わたしは年少のむかし好んで荷風文学を読んだおぼえがあるので、その晩年の衰退をののしるにしのびない。すくなくとも、詩人の死の直後にそのキズをとがめることはわたしの趣味ではない。それにも係らず、わたしの口ぶりはおのずから苛烈のほうにかたむく。というのは、晩年の荷風に於て、わたしの目を打つものは、肉体の衰弱ではなく、精神の脱落だからである。老荷風は曠野の哲人のように脈絡の無いことばを発したのではなかった。言行に脈絡があることはある。ただ、そのことがじつに小市民の痴愚であった。
(中略)
 むかし、荷風散人が妾宅に配置した孤独はまさにそこから運動をおこすべき性質のものであった。これを芸術家の孤独という。はるかに年をへて、とうに運動がおわったあとに、市川の僑居にのこった老人のひとりぐらしには、芸術的な意味はなにも無い。したがって、その最期にはなにも悲劇的な事件は無い。今日なおわたしの目中にあるのは、かつての妾宅、日和下駄、下谷叢話、葛飾土産なんぞに於ける荷風散人の運動である。日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い。

 襟を正して読み直してみよう。

安吾のいる風景・敗荷落日 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

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荷風随筆集 下 (岩波文庫 緑 41-8)

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文學大概 (中公文庫)

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コロンブスの卵 (ちくま文庫)

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