荷風の見たヨウシュヤマゴボウの花

 石川淳に『敗荷落日』で「おもえば、葛飾土産までの荷風散人だった。戦後はただこの一篇、さすがに風雅なお亡びず、高興もっともよろこぶべし。しかし、それ以後は……何といおう、どうもいけない。」とまで書かれた荷風だった。さて、その「葛飾土産」を開いてみる。

 わたくしは日々手籠をさげて、殊に風の吹荒れた翌日などには松の茂った畠の畦道を歩み、枯枝や松毬を拾い集め、持ち帰って飯を炊く薪の代りにしている。(中略)人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣や竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わたされる。そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中にはわたくしのかつて見たことのない雑草も少くはない。山牛蒡の葉と茎とその実との霜に染められた臙脂の色のうつくしさは、去年の秋わたくしの初めて見たものであった。

 この山牛蒡とは帰化植物ヨウシュヤマゴボウに違いない。帰化植物図鑑によれば明治の始め頃渡来したとあるから、荷風が「葛飾土産」を書いた昭和22年には、もうかなり広く分布を拡げていたとしても不思議はない。

ヨウシュヤマゴボウ