以前、半藤一利の『荷風さんの戦後』(ちくま文庫)を紹介した。さらに松本哉の『永井荷風という生き方』(集英社新書)を読んだ。今度、新藤兼人の『『断腸亭日乗』を読む』(岩波現代文庫)を読んで、これも大変おもしろかった。新藤は『墨東綺譚』を映画化したが、そのシナリオ化に当たって、『断腸亭日乗』を繰り返し深く読み込んだ。その結果荷風の生活を詳しく書くことができた。ただ同じ荷風を取り上げて、新藤は半藤や松本に比べて上品なのだ。一方半藤は荷風を尊敬していて、だから視線が暖かい。
荷風の女を語る場面を取り上げて彼らの違いを見てみよう。荷風は『断腸亭日乗』で「つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし」と書いて、十数人の女性の名前を挙げて、付き合った来歴を簡単に記している。その中の秀梅について、新藤は書く。
12 清元秀梅。初(はじめ)清元梅吉内弟子。大正11年頃折々出会ひたる女なり。本名失念大阪商人の女。
大正11年8月30日。晴。夜清元秀梅と牛込の田原屋に飲む。秀梅酔態妖艶さながら春本中の女師匠なり。毘沙門祠後の待合岡目に往きて復び飲む。秀梅欷歔啼泣(ききょていきゅう)する事頻なり。其声半庭の虫語に和す。是亦粉本中の光景ならずや。荷風は秀梅とは清元梅吉の相弟子。荷風の年44歳ですが、しきりに老人になったと口ばしりながら色事に熱中します。もっともこの頃は人生五十年といっていました。
新藤はこんな風に淡々と記述する。次は松本哉の語る芸者八重福について。大正7年、荷風は父親の残した大久保余丁町の屋敷を売って築地の小宅に転居する。そのころ、櫓下(現在の江東区門前仲町)の芸者、八重福と知り合い、年末はほとんど24時間べったり、寝食もともにした。
12月22日にようやく転居先の小宅が空いたので荷物を移したが、泊まったのはまだ旅館のままであった。八重福も一緒に泊まったらしいのだが、穏やかでないことが記されている。
「此妓無毛美開、閨中欷歔すること頗妙」
「欷歔」とはキキョと読み、ひーひーすすり泣くのである。(中略)荷風は満39歳になったばかりである。八重福の年齢がいくつなのか、正確にはわからぬが、20歳になっていたかどうか。
荷風が「無毛美開」と日記で評価するのもすごいが、「欷歔」についても高く評価しているらしい。八重福も秀梅も欷歔するのだ。そのことを新藤はさらりと流しているが、松本はちゃんと解説してくれる。
新藤が紹介する戦後の荷風の住宅難について。
終戦となって、荷風は大島五叟一家が疎開していた熱海へ身を寄せます。そこも仮りの宿で、千葉の市川へ大島一家と共に引越して行きます。独り暮らしで気儘に生きてきた荷風は他人との同居生活にしばしばトラブルを起こします。
そこで、近くの小西茂也(フランス文学の翻訳家)の一室を借りますが、ここでも荷風は奇行ががすぎて同居できません。
新藤は「奇行がすぎて同居でき」ないと書いているが具体的なことは何も書かれない。何があったかは半藤一利が教えてくれる。
「復讐がこはいから僕は何も云ひません。その代り荷風が死ねば洗ひざらひぶちまけますよ」と言っていたのに、小西氏は荷風よりも早く逝ってしまった。ゆえに小西氏に代わってと、佐藤春夫氏がバラしている巷説−−それもありそうでなさそうな噂話であるが、フム、フム、なるほど、と納得させられるところもある。
「……小西夫妻の寝室の障子には毎晩、廊下ざかひの障子に新しい破れ穴ができて荷風がのぞきに来るらしいといふので、小西の細君がノイローゼ気味になつたのが、小西の荷風に退去を求めた理由であつたと説く者もある」
新藤兼人は映画監督である。だから荷風が戦後浅草の芝居小屋のために書いた脚本に対する評価は厳しい。
荷風の浅草物と称して書いた舞台脚本は調子の低い物でした。荷風の小説は構成的ではなく叙述的ですから、ドラマを書くには向かないのです。
なるほど、これは説得力がある。さて、新藤は上品で半藤と松本はそうではないと書いた。上記の事柄に注目するくらいだから、私も決して新藤の側に立っているはずがない。
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