加藤周一の小説「三題噺」を読む(1)

 加藤周一は優れた批評家だが小説も書いている。その「三題噺」(ちくま文庫)は主に3つの短篇、詩仙堂を造った石川丈山を描いた「詩仙堂志」、禅僧一休宗純を盲目の愛人森女の目から描いた「狂雲森春雨」、江戸時代の夭折した特異な思想家富永仲基を描いた「仲基後語」からなっている。それぞれ文体を違え、史伝体、一人称の語り、霊媒に呼び寄せられた仲基とその周辺の人物たちの霊と記者との対話という形を取っている。
 さすが加藤周一だけあっておもしろいし、3人の事跡がよく分かる。みごとな出来栄えだと思う。でありながら、優れた小説かといえば、躊躇してしまう。加藤の日本文化史を読んだときの感動に似ているのだ。何が違うのかよく分からないのだが。小説にしては理が勝ちすぎるのだろうか。
 以前、作家の川上弘美が書いた大江健三郎の「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」の書評を読んだことがあったが、あまりに素朴で呆れたことがあった。小説は優れているのに。深い裏付けもなく言うのだが、もしかすると、評論と小説の出来は反比例するのではないだろうか。私は丸谷才一の評論が好きでよく読んでいるのだが、小説はまだ1作も読んでいない。何となく腰が引けてしまうのだ。
 大江健三郎も好きだが、評論は小説ほどは評価できない。誰かがサルトルは、評論>小説>哲学だと書いていた。
「三題噺」に戻れば、富永仲基の思想をもっと知りたいと思う。儒教・仏教・神道をすべて批判した思想史の方法論を持っていたというし、文化人類学の萌芽もあったという。儒教を批判した「説蔽」は版木まで破棄されて今は何も残っていない。
 一休については詩集「狂雲集」に愛欲の詩が収められているという。加藤自身も何度も結婚している。愛欲は加藤にとっても重要だったようだ。そうか、私も愛欲の深さを恥じることはなかったのか。読書はいろいろなことを教えてくれる。


三題噺 (ちくま文庫)

三題噺 (ちくま文庫)