多田富雄の語る森田茂

寡黙なる巨人
 免疫学の世界的権威、東大名誉教授多田富雄さんが脳梗塞で倒れた後リハビリを続け、ようやく動く左手で、初めて学んだパソコンを使ってエッセイを書いている。それらをまとめた多田富雄「寡黙なる巨人」(集英社)を読んだ。タイトルは著者その人のことではなく、一時は死んだも同然だった自分の体がわずかに動いた経験を、「不思議な生き物」「そいつ」と呼んでいる。

 まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用なそいつに気づいた。私の右足は麻痺して動かないから、私が歩いているわけではない。それでも毎日リハビリに励んでいるのは、彼のせいだと思う。まだ杖を突き人に介助されながら、百メートル歩けるに過ぎない。それでも時には進歩したなと思う。

 倒れる前に多田は酒田に行き、新田嘉一さんの実家でコレクションの森田茂の黒川能の絵を見せてもらう。多田は新作能も書いているのだ。

 開館前の酒田美術館で、その絵を前に私の足は釘付けになった。文殊菩薩の清涼山に棲むという霊獣獅子を描いた「石橋」という作品だった。
 (中略)
 荒々しいタッチのように見えるが、実際には動いている唐織の絹の繊維の、一本一本の光まで丹念に塗り重ねたような繊細さがある。むしろ絵の具を使った光の彫刻のようだった。

 私も森田茂の黒川能の大作を何点も見た。文化勲章をもらった後だ。多田が「光の彫刻」と感じたのは森田の厚塗りのせいではないか。森田は色彩に優れていると言われている。
 しかし、残念ながら森田の色彩はきれいではないし、絵も優れているとは言い難い。専門外を評価することの難しさを思った。すると吉田秀和の優れた絵画論の数々は奇跡的な例外なのか。
 吉田秀和セザンヌ物語I、II」(中央公論社)「セザンヌは何を描いたか」「マネの肖像」(ともに白水社)。