吉田秀和さんが亡くなった

 吉田秀和さんが亡くなった。5月22日夜だったという。98歳という高齢にも関わらず、惜しい人を亡くしてしまったという感が強い。いつまでも元気で生きていてほしかった。丸谷才一が追悼を書いている(朝日新聞5月29日夕刊)。

 批評家は二つのことをしなければならない。第一にすぐれた批評文を書くこと。そして第二に文化的風土を準備すること。この二つをおこなつて、はじめて完全な批評家となる。(中略)
 そして第一の局面が来る。つまり吉田秀和の評論。とにかく文章がうまかつた。内容があつて新味のある意見、知的で清新で論理的な文章を、情理兼ね備はつた形で書くことにかけては、近代日本の評論家中、随一だつたのではないか。わたしはもちろん、いはゆる文藝評論家たちを含めた上で言つている。美術や文学を論じても、文明論や都市論を主題にしてもすばらしかつた。まして音楽を扱ふときの視野の広さ、切れ味の良さは言ふまでもない。たとへばモーツアルトを取上げても、同じ主題をめぐる文藝評論家の高名な著作が、いくら時代の差があるとは言へ、感傷的で論旨が濛々(もうもう)としてゐるのにくらべて、圧倒的に質が高かつた。
 戦後日本の音楽は吉田秀和の作品である。もし彼がゐなかつたら、われわれの音楽文化はずつと貧しく低いものになつていたらう。(後略)

 全くこの通りだ。文中「文藝評論家の高名な著作」というのは、言うまでもなく小林秀雄の「モーツァルト」だ。
 本ブログで取り上げた吉田秀和に関するエントリー。
「レコード芸術」7月号が吉田秀和特集だ!(2011年6月25日)
吉田秀和の小林秀雄批判(2010年6月4日)
小林秀雄のモーツァルト論について書く吉田秀和(2010年5月9日)
ヒュッシュでシューベルト《冬の旅》を聴く(2009年11月15日)
毎日新聞の吉田秀和特集がチョー嬉しい(2009年9月7日)
靉光とセザンヌ(2009年5月31日)
丸谷才一による吉田秀和と小林秀雄(2006年10月2日)