池田清彦『ぼくは虫ばかり採っていた』を読む

 池田清彦『ぼくは虫ばかり採っていた』(青土社)を読む。昆虫学者、進化論学者である池田の様々な発言を集めたエッセイ集。これが面白かった。iPS細胞のもたらす未来とか、クローン人間の未来予想図とか、性の決定が複雑なことなどを話題に取り上げている。クローン人間の是非などは当事者に任せておけばいいと言い切っている。
 池田は一貫して現在主流の進化論ネオダーウィニズムを批判している。

 古生物学ではさまざまなミッシング・リンク、大きな変化が起きているのに中間形態がほとんど見つからないものが多くあります。みんなそれを探しているけれど、なかなか見つからない。それは「ない」と考えたほうがいい。連続的なプロセスは自然選択でいくけれども、一挙にシステムが変わる不連続なところは、自然選択とは独立のプロセスでいきなり変わったと考えたほうがよい。特にDNAを解釈する解釈系が変化すれば、不連続な変化を帰結すると思う。

 大きな隕石の衝突により地球規模の環境変化が起こったときなどの大進化と、通常の連続的な小進化を分けて考えるべきだというのはその通りだろう。
 クマムシを例に生命について考えている。クマムシはゆっくり乾燥させていくと普通3%くらいまで水が抜けるが、一番乾燥したクマムシは水が0.05%くらいになってしまう。もう代謝は全くしていなくて、物質の固まりで生きていない。これで120年保存された記録がある。そのクマムシに1滴水を垂らしたら動き出した。乾燥したクマムシは動かないけれど、高分子の配置が残っている。それが生命の基礎ではないか。配置を再現すれば生命を作り出せるのではないか。
 池田は免疫学者の多田富雄の仕事を高く評価している。池田の推薦する多田の著書『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植』(岩波ブックレット)や『落葉隻語 ことばのかたみ』(青土社)、『ダウンタウンに時は流れて』(集英社)を読んでみよう。『ダウンタウン〜』を、池田は「月並みな表現だけど、このエッセイは涙が出るほどすばらしい。他の業績は知らず、このエッセイ1本だけで多田富雄の名は後世に残るだろう」とまで言っている。
 「ぼくは虫ばかり採っていた」という章は、インタビューアーに応えて半生を語っている。小学4年から蝶を集めて大学1、2年までに日本の蝶はすべて集めたこと、大学紛争の頃は麻雀とデモに明け暮れていたこと、大学院のころからカミキリムシを集めていることなどが語られる。
 最後の章が「構造主義科学論のコンセプト」で、これが池田にとって最重要なのだろうが、難しくてほとんど分からなかった。これ以外はみな面白かったけれど。