ロレイン・ゴードン、バリー・シンガー共著『ジャズ・レディ・イン・ニューヨーク』を読む

 ロレイン・ゴードン、バリー・シンガー共著『ジャズ・レディ・イン・ニューヨーク』(DUブックス)を読む。副題が「ブルーノートのファースト・レディからヴィレッジ・ヴァンガードの女主人へ」とある。ロレインがその女主人で自分の半生を語り、シンガーがそれをまとめたのだろう。
 ロレインは兄の影響でティーン・エイジャーのころからジャズが好きだった。ラジオのディスクジョッキーを聴き、レコードをたくさん聴いた。そのうちにブルーノートのオーナーであるアルフレッド・ライオンに紹介されて、彼と結婚することになる。ブルーノートはジャズの名門レーベルだ。愛する夫がブルーノートのオーナーという理想的な結婚だったが、ロレインが子どもを欲しがったのに夫は賛成しなかった。
 まだ無名だったセロニアス・モンクに出会う。演奏を聴いてすぐ録音しようと夫とユニゾンで声をあげた。しかしモンクのレコードはちっとも売れなかった。ロレインはモンクの売り込みに熱中する。「セロニアス・モンクは私個人の使命になりました」と書いている。すばらしい! ロレインがモンクを世に出したのだ。偉大なモンクを。
 母が亡くなるとき、看病に行っていてそこでマックス・ゴードンに出会い恋に落ちる。ロレインはアルフレッドを棄ててマックスと一緒になる。マックスはニューヨークのジャズ・クラブのヴィレッジ・ヴァンガードのオーナーだった。マックスと結婚し娘を2人産む。
 マックスがいくつもの店の経営に専念し、ロレインは自分の興味ある世界に没頭する。反核の運動をし、ヴェトナム戦争反対の活動の一環でアメリカの法に反してソビエトを経てヴェトナムのハノイまで行っている。
 マックスの店が左前になり、ロレインは働きに出る。ポスターを展示販売する店に携わる。
 伝説のトランぺッター、ジャボ・スミスが生きていることを知ったロレインは、ミルウォーキーのレンタカー屋に会いに行く。ロレインはジャボのマネージャーのような仕事をする。欧米ツアーに同行する。ベルリンの巨大な公演会場でのジャボの演奏をロレインが語る。

彼はソフトに「ラヴ」を歌い始めました。聴衆は歓喜しました、本当に。あんな歌、私は人生で聴いたことがありません。彼は聴き手の心に届いたのです。なんて熱烈な歓迎! “アート”なるものをさんざん聴かされたあと、ドイツの聴衆はようやく真実の“ソウル”を耳にしたのです。

 ジャボが81歳で亡くなるとき、ロレインはベッドの脇でジャボの手を握っていた。
 マックスが亡くなったとき、ヴィレッジ・ヴァンガードも閉店せざるを得ないと思われていた。ロレインはマックスが元気なうちは店の経営には参加していなかった。亡くなった夜は「今晩閉店」の掲示を出したが、翌日からロレインが責任者として開店した。
 マックスのヴィレッジ・ヴァンガードに出演したジャズ・ミュージシャンたちの長いリストがある。本当にすばらしいメンバーたちだ。そこを引き継いだロレインは店の再建に成功する。
 40年前にジャズ・シーンから姿を消した伝説の女性ギタリスト、メアリー・オズボーンが存命なのを知ってロレインはメアリーに連絡を取る。「彼女は私を信じませんでした! でも私は辛抱強く話しました」。メアリーは末期の癌だった。しかしメアリーはヴァンガードに演奏しにやってきた。翌年彼女は亡くなった。
 こんなジャズ・クラブのオーナーの半生がとても面白かった。共著になっているのはおそらくロレインが語り、シンガーが原稿にしたのだろう。短い文体が続き、語っている様子が翻訳でも伝わってくる。
 表紙デザインについて、長いタイトルを手書き風の袋文字にしている。読みにくく長いタイトルがスッと頭に入ってこない。ここはきちっとした活字、ゴチックくらいにすべきだった。初歩的な校正ミスが2か所あった。
 ロンドンで知人から芝居に誘われたときのこと。

「観劇にご一緒しましょう。ローレンス・オリヴィエが『犀(さい)』(訳注:ユージン・ロネスコが1960年に発表した戯曲)を演じるのです。……」

 訳注で「ロネスコ」と言っているのは「イヨネスコ」の誤りだ。イヨネスコIonescoはルーマニア出身の戯曲家、ベケットと並ぶ不条理劇の第一人者で『犀』はその代表作だ。ロネスコと訳しているのは原著がLonescoとなっていたのかもしれない。だが、これは校正者が気づくべきなのだ。
 だが、とても面白く読んだのだった。