高橋源一郎『間違いだらけの文章教室』を読む

 高橋源一郎『間違いだらけの文章教室』(朝日文庫)を読む。以前、『ぼくらの文章教室』として単行本で出ていたものを改題し、学生たちの書いた「吉里吉里憲法前文」を加筆したもの。
 例文にいくつもの文章が引用されている。最初の文章は、木村センという女性の書いたもの。全文を引く。

四五ねんのあいだのわがままお
ゆてすミませんでした
みんなにだいじにしてもらて
きのどくになりました
じぶんのあしがすこしも いご
かないので よくやく やに
なりました ゆるして下さい
おはかのあおきが やだ
大きくなれば はたけの
コサになり あたまにかぶサて
うるさくてヤたから キてくれ
一人できて
一人でかいる
しでのたび
ハナのじょどに
まいる
うれしさ
ミナサン あとわ
よロしくたのみます
二月二日 二ジ

 明治24年群馬県の農家に生まれ、農家に嫁ぎ一心不乱に働く。昭和30年転んで大腿骨を骨折、寝たきりの状態になり、働くことができない体になったことを理由に、同年2月14日、自宅で縊死、享年64歳。とある。
 木村センは4年制の尋常小学校を卒業して、その後貧農のところに嫁入りした。骨折したセンは孫の相手をしながら文字の手習いを始めた。理由を家族に知られず字を憶えたかった。それは遺書を書くためだった。自分が入る墓は畑のはずれにあり、そこには隣の家の大きなアオキが生えていた。センはその木のことを気にしていた。その木の影が墓や畑にかぶさるのが嫌だった。「コサ」は「木の影」だとのこと。
 高橋源一郎はセンのこの遺書を本書の冒頭においた。ついで、高橋が明治学院大学で教える女子学生が授業で書いた「走れメロス」の現代版という作文。ついで小島信夫の変な小説『残光』。小島信夫の小説がどんなに変かは、小島を敬愛する作家保坂和志のエッセイで知っている。ボケた作家がボケた状態でボケを認識して書いている。次は多田富雄の最後の文章と『池袋・母子 餓死日記』だ。ついでアップルの創始者スティーブ・ジョブズの講演。ほかに岩渕弘樹の派遣社員として埼玉の工場で働いた記録、愚痴ばかり書いている。それに補足するようにシモーヌ・ヴェイユの『工場日記』を置く。私も23歳の時、日産自動車の座間工場で1年間プレス工として働いた。週6日間毎日10時間労働で、自動車の部品を1日3,000個づつ作っていた。時々カウンターの数字が増えているのを見るのが楽しみだった。数字はシジフォスの労働ではないことを伝えていた。
 最終章に鶴見俊輔の『思い出袋』(岩波新書)が紹介されている。これは読んでみよう。
 木村センの遺書が強烈だった。丸木スマの下手で下手で優れた絵画を思い出した。

 

 

間違いだらけの文章教室 (朝日文庫)

間違いだらけの文章教室 (朝日文庫)