素朴なイスラム教徒の世界観

 表象文化論田中純が「時のアウラーーロッシとタルコフスキーのポラロイド写真」(「UP」2007年9月号)で、写真に対するウズベキスタンイスラム教徒の反応を次のように紹介している。

 タルコフスキーの友人だった脚本家トニーノ・グェッラは、これもまたポラロイド写真の愛好家だった映画監督ミケランジェロ・アントニオーニウズベキスタンを訪れた折のこんな経験を回想している。ーー3人の年配のイスラム教徒をポラロイド・カメラで撮影したアントニオーニが、その写真を彼らに渡すと、最も年長の男はその画像を一瞥したあと、写真を返して、こう言ったというーー「なぜ時を止めるのか」。映画監督たちは思いもつかないこの拒絶を前にして驚き、呆気にとられ声もなかった。「タルコフスキーがしばしば考えをめぐらせていたのは、時間が逃れ去る仕方についてであり、それを止めることこそ、まさに彼の願望だったーーこれら迅速なポラロイド撮影を使ってでも」。

 これはアラビアのロレンスのエピソードを思い出させる。コリン・ウィルソンからの孫引きなのだが、アラビアのロレンスことT.E.ロレンス著「知恵の七本柱」に次のようなエピソードが紹介されているという。

 ある時、ロレンスがともに戦っていた砂漠の民ベドウィンに彼らの顔を描いてみせると、ベドウィンたちはそれをいろいろな角度から眺め最後にひっくり返してラクダだと言った。逆さにした時のあごの線がラクダのこぶだと言うのだ。

 ベドウィンたちはイスラムなので偶像崇拝を禁じられている。人を描いた絵など見たことがないのだ。われわれが具象画を先験的に分かると思っているのは、単にわれわれが幼い時から人が描かれた絵など、具象画を見慣れているからではないのか。ベドウィンのエピソードは具象画ですら訓練しないと理解しがたいことを示している。