抽象が分からない

抽象絵画が分からないと言われる。それに対して、あなたはネクタイを選ぶだろう、ネクタイの柄は抽象ではないかと言う人がいる。つまり抽象を選んでいると言うのだ。
これは正しくない。優れた抽象画は人を感動させるが、ネクタイの柄に誰も感動しないからだ。
抽象画が分からないという言葉の裏には具象は分かるのにというのがある。具象は誰でも分かると思われている。そうだろうか。


コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」からの孫引きなのだが、アラビアのロレンスことT.E.ロレンス著「知恵の七本柱」に次のようなエピソードが紹介されている。
ある時、ロレンスがともに戦っていた砂漠の民ベドウィンに彼らの顔を描いてみせると、ベドウィンたちはそれをいろいろな角度から眺め最後にひっくり返してラクダだと言った。逆さにした時のあごの線がラクダのこぶだと言うのだ。
ベドウィンたちはイスラムなので偶像崇拝を禁じられている。人を描いた絵など見たことがないのだ。われわれが具象を先験的に分かると思っているのは、単にわれわれが小さな時から人が描かれた絵など、具象を見慣れているからではないのか。ベドウィンのエピソードは具象ですら訓練しないと理解しがたいことを示している。


普通の人は抽象画が分からない。抽象画を見る訓練がされてないからだ。具象にしろ抽象にしろそれを見る訓練がされなければ分からないのだ。
抽象を分かるためにするべきこと。たくさん見ることだ。すると、ある日抽象画が分かり始める。