多田富雄『ダウンタウンに時は流れて』を読む

 池田清彦『ぼくは虫ばかり採っていた』を読むと、免疫学者の多田富雄を絶賛していた。とくに『ダウンタウンに時は流れて』(集英社)について、涙が流れそうになる、ほかのどんな業績がなくても、これだけで歴史に残るとまで言っている。
 多田富雄が偉大な免疫学者だとは知っていたが、その著書を1冊も読んだことがなかった。早速手に取ってみた。
 大きく2部に分かれていて、前半に著者が30歳のころアメリカへ留学したときの現地の人たちとの交流が綴られている。最初にデンバーの研究所に入ったときに下宿したところの老夫婦とのエピソード。大家のトレゴ夫妻はドイツ移民の2世で、老夫婦が二人でひっそりと暮らしていた。多田はアメリカの中下流の家庭と書いている。英語のレッスンをしてくれたり、クリスマスプレゼントを交換したり、料理を分け合ったり家族のような交流に発展したりしたことが綴られる。ある日日本から蜜豆の缶詰が送られてきて、皆で食べたあとミセス・トレゴの具合が悪くなり、心筋梗塞で亡くなった。葬儀に出席したばかりか、葬儀の面倒もみることになった。葬儀の終わりにシカゴから来た姪に声をかけられた。

「ドクター!」
 私の後ろから呼び止める声が聞こえた。噂に聞いていたシカゴから来たミセス・トレゴの若い姪だった。黒い小さな帽子に、ベールを垂らしていたが、はっきりした目鼻立ちの女性であることはわかった。齢は40くらいであろうか。彼女は夫とともに、伯母の葬儀のためにシカゴから駆けつけてくれたのだ。
「あなたのことは、伯母から何度も聞いています。伯母はあなたのことをとても誇りにしていたのです。『今2階を貸している日本人の若いドクターはね……』と、いつもあなたのことを電話で話していたのよ。晩年は何もいいことはなかったのに、本当にありがとう」
 と、私の手をとり涙声で囁いた。
 聞いているうちに、ミセス・トレゴがそんな風に私を思ってくれていたのかと、思い出が蘇ってきた。突然私の涙腺は膨らんでこらえようがなくなった。私は彼女の手を握って涙に咽んだ。涙がとめどなく流れた。

 ほかにもあまりガラの良くないバーに入り浸っていた話がとても良かった。バーのママや客たちと親しく付き合い受け入れてもらっていた。大阪から来訪した血液学者をそのバーに案内したときは、彼は剣道5段の猛者にも関わらず、緊張して終始手に汗を握っていて脚ががたがた震えていたという。日本人社会でも評判の悪いバーだったが、多田にとってくつろげる場所だった。
 この多田の自伝的エッセイの素晴らしさは、池田清彦のいうように他の業績がなくてもこれだけで後世に残るとまでは言わないが、非凡なものであることに同意したい。多田の人柄のすばらしさなのだろう。
 本書は改題再編されて『春楡の木陰で』(集英社文庫)となっている。こちらでも読み直してみたい。


ダウンタウンに時は流れて

ダウンタウンに時は流れて

春楡の木陰で (集英社文庫)

春楡の木陰で (集英社文庫)