初詣

 今年の元旦は2つの神社に初詣に行った。墨田区の吾嬬神社と江東区の亀戸石井神社だ。おそらくどちらも関東で最も古い神社に属するだろう。しかし往時の栄光はとうに廃れ、どちらにも専任の宮司はいないし、初詣の参拝客もほとんど見かけない。近くの江東区香取神社亀戸天神は参拝客が列を作り、亀戸天神では警官が入場制限を行っているというのに。歴史を重視するなら、吾嬬神社も亀戸石井神社横綱級の神社なのに、残念ながら見かけでは特に石井神社は田舎の氏神様クラスにしか過ぎない。東京日本橋コレド室町の裏手にある福徳神社は現在のように建替えて立派になる前は古い小さなビルの2階屋上の片隅に鎮座する小祠に過ぎなかった。多分関係者以外誰も参拝などしなかっただろう。人は神社の立派な建物に参拝するのだと揶揄したいのは分かってもらえるだろうか。

 さて、吾嬬神社である。元旦の写真を紹介する。


・吾嬬神社について

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20130102/1357052489

 

 次いで亀戸石井神社だ。戦前は立派な神社だったようだが、空襲に焼かれて戦後再建した。しかし戦前とは場所も異なり規模も極めて小さくなっていると言う。元来「石神」とか「石神井」と言っていたのを「咳の神」とか「おしゃもじ様」と訛って伝えられているのも嘆かわしい。

 やはり元旦の写真を紹介する。


・亀戸石井神社について

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/12/15/194808

 

 

 

今年1年間の読書を振り返って

 今年1年間で読んだ本は125冊と少な目だった。とても良かったと思った本が22冊、こりゃ駄目だと思ったのが4冊。駄目な本が4冊と少ないのは、元々良さそうな本を選んで読んでいるからだ。それらを読んだ順に挙げてみる。

 まずとても良かった本を、

 

『この国のかたち 六』(司馬遼太郎、文春文庫)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/02/19/121447

 

『地球の平和』(スタニスワフ・レム国書刊行会

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/02/13/114628

 

『俳句と人間』(長谷川櫂岩波新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/02/23/190911

 

『僕とアリスの夏物語』(谷口忠太、岩波科学ライブラリー)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/03/11/070801

 

『死の淵より』(高見順講談社文芸文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/03/19/203639

 

『私の日本語雑記』(中井久夫岩波現代文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/04/16/141607

 

『〈3・11〉はどう語られたか』(金井美恵子平凡社ライブラリー

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/05/03/180103

 

『「現代写真」の系譜』(圓山義典、光文社新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/04/27/201037

 

『〈いのち〉とがん』(坂井律子、岩波新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/05/06/195521

 

『同日同刻』(山田風太郎ちくま文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/05/20/174840

 

『日本語をどう書くか』(柳父章角川ソフィア文庫

 

『激動 日本左翼史』(池上彰 佐藤優講談社現代新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/07/02/141732

 

堤清二 罪と業』(児玉博、文春文庫)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/06/26/172101

 

『木』(幸田文新潮文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/06/25/165557

 

『この国の戦争』(奥泉光加藤陽子河出新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/07/28/154110

 

『昭和史講義【戦後文化篇】(上)』(筒井清忠 編、ちくま新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/08/01/140554

 

『デジタル・ファシズム』(堤未果NHK出版新書)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/08/23/223555

 

『長期腐敗体制』(白井聡、角川新書)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/10/02/145929

 

ショパン・コンクール見聞録』(青柳いづみこ集英社新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/10/22/215150

 

『イメージを読む』(若桑みどり、ちくまプリマ―ブックス)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/11/16/224144

 

『入門 近代日本思想史』(濵田恂子、ちくま学芸文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/12/11/210903

 

言語学を学ぶ』(千野栄一ちくま学芸文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/12/04/205950

 

 次いで駄目だった本

 

『カドミューム・イエローとプルシャン・ブリュー』(島村直子・小寺瑛広 編、未知谷)

 

『老いる意味』(森村誠一中公新書ラクレ

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/06/20/185303

 

『仰天・俳句噺』(夢枕獏文藝春秋

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/10/29/183557

 

『句集 北落師門』(橘まどか、文學の森

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2022/11/19/181055

 

 良かった本は小説がSF1冊だけだった。

以上。

 

 

 

大岡昇平『成城だより』を読む

 大岡昇平『成城だより』(中公文庫)を読む。「作家の日記」が併録されている。「成城だより」は1979年11月から1980年10月までの1年間の日記。「作家の日記」は1957年11月から1958年4月までの日記。『成城だより』はこの後も『成城だよりⅡ』『成城だよりⅢ』と続いていく。

 大岡が成城に暮らすようになってからの日々を『文学界』に連載したもの。武田泰淳夫人の武田百合子の『富士日記』と異なり内容が濃くとても面白い。公開する日記でありながら結構批判の言葉は容赦ない。熱くなって語っていたりする。

 大岡ってこんなに激しい人だったのか。映画『地獄の黙示録』を巡っては新聞雑誌の批評を読み比べ、コンラッドの『闇の奥』も読み返し、サウンド・トラックを買い、ダイヤローグを入手して読んでいる。すごい情熱だ。

 しかしこの頃は個人情報という概念がないのか、息子の勤務先や娘の家族についても事細かく記している。大丈夫なのかと心配してしまう。そういえば昔は『マスコミ電話帳』に有名人の自宅の住所や電話番号が普通に載っていた。もしかしたら古い『マスコミ電話帳』はプレミアがついて高値で取引されているかもしれない。

 サルトルの死去に際して、日記には次のように書いている。

 

 5月9日 金曜日 雨

 やや暖。文芸誌、サルトルについて特集、間に合わなかったのか、慎重に構えたのか、一誌、翻訳者の追悼を載せたるのみ、主に読書新聞の記事となる。

 翻訳者の一人は、サルトルの生き方にはなにやら判然としない部分が多いという。翻訳でさんざん儲けておきながら、判然するもしないもないものだ。彼は最初から判然としなかったのであり、判然としなくても、小説ぐらい翻訳できるから困るなり。

 

 この翻訳者は白井浩司ではないだろうか。サルトルの『嘔吐』の訳者であるが、なにやら胡散臭い人物だった。

 「成城日記」を書いているとき、大岡は70歳で、いかにも老人ぽく足腰の衰えや体調不良を綴っている。でも現在の私より4歳も年下なのだ。私がもう少し老いを自覚するべきなのかもしれない、と反省した。

 

 

 

 

山本弘の作品解説(110)「ばら」

山本弘「ばら」、油彩、F8号(45.5cm×37.8cm)

 

 1966年5月制作、山本34歳のときの作品。やや初期に属する。裏面に名刺が貼付されていて、¥16,000とあるから16,000円で販売したらしい。現在の貨幣価値では5倍として8万円になる。

 晩年の作品と違って分かりやすい綺麗なバラを描いている。一方、花の部分のみを厚塗りするのは、当時から採用していた技法だったのだ。フォートリエの影響が見られることになる。

 おそらくすでにこの頃第1回目の脳血栓を患ったあとで、手足の不自由が始まっていただろう。

 色彩も素直に綺麗な色を使っていて、これなら売るのに苦労はしなかっただろうと思われる。

 この直前に愛子さんと結婚したのではないか。裏面の名刺は「上郷村高松」の住所が一部手書きで訂正されて「上郷村下黒田77」となっている。結婚を機にお父さんと同居していた住所から、6畳一間のアパートに移ったのだろう。この下黒田77のアパートは、その後娘が生まれるまで5年間住んでいた。私も通ったのだった。