坂井律子『〈いのち〉とがん』を読む

 坂井律子『〈いのち〉とがん』(岩波新書)を読む。副題が「患者となって考えたこと」。坂井はNHKのプロデューサーとして活躍していた2016年、突然膵臓がんだと診断される。東大病院の肝胆膵外科に入院する。手術時間8時間、膵臓のがんはすべて取り切ることができた。

 しかし、手術はゴールではなくスタートラインだった。術後、ICUから病室に戻るが、猛烈な痛みと下痢がすさまじかった。多いときは1日15回以上かそれ以上の下痢に襲われた。ひどいときには10分と落ち着いてベッドに座っていられないので、友人たちの見舞いも断った。再発予防の抗がん剤治療が始まった。

 術後の病理検査で切除済みの離れたリンパ節に転移が見つかり、術後のステージはIVaとなっていた。

 翌2017年、肝臓への転移が見つかる。抗がん剤が経口摂取から点滴に変わった。

 

 まず驚いたのは初回投与の際に看護士がベッドのわきで防護服を身に着け始めたことだった。通常の看護服の上から、全身の防護服、目を保護するグラス、手袋など。大げさに言えば原発事故後の除染作業用の防護服のようであり、「毒」を実感させるものだった。

 

 この抗がん剤治療は効果があり、その年の年末に再手術を受けた。手術は成功した。だが、2か月後、肝臓とリンパ節への多発転移がわかった。何もしなければ残された時間は3カ月と言われる。

 坂井は2004年に亡くなった父のことを思い出す。父は胸腺腫になり4年間闘病して71歳で亡くなった。抗がん剤を投与し、一時は寛解したが、1年弱で多発肝転移をした。自宅へ戻った父は1カ所だけ行ってほしい所があると言った。それは胸腺腫に新しい治療法を試みている静岡県のある病院だった。しかし、その病院の治療法は父には適応にはならなかった。父は3カ月半家で過ごして亡くなった。

 「あとがきにかえて」で坂井は書く。「この本は、再々発がわかった2018年2月から11月までの間に書き綴った、がんに罹った「私」の記録である。そう書きながら、再々発後の治療についてはもう詳しくは書かれていない。Wikipediaによれば、坂井は2018年11月26日に58歳で亡くなっている。

 父の闘病とその後の死が、坂井自身の闘病とその死の隠喩になっている。坂井自身はもう己の死を綴ることはなかったのだから。

 

 さて、私も2020年10月に食道がんステージIIIと診断され、築地のがん研究センターに入院した。点滴による抗がん剤治療を3回受けた。5日間24時間点滴を受け、退院して3週間自宅療養した。退院直後は歩くのもしんどいくらい弱っていた。下痢もひどく、トイレに間に合わなくて下着を汚したことも数回あった。病室で他の患者の前で粗相をした時など、この年になってプライドが徹底的に打ち砕かれた。自宅療養で体力を回復し、再び入院して抗がん剤治療、それを3回繰り返した。看護士は「通常の看護服の上から、全身の防護服、目を保護するグラス、手袋など」着用し、抗がん剤が毒であることを推測させた。副作用も強く、脚のしびれはいまだに続いている。抗がん剤はがん細胞を攻撃するが、同時に健康な細胞も攻撃するのだ。

 3回の入院のあとへろへろになって退院し、自宅療養を5週間続けて、その後手術を受けた。食道がんと診断された時、手術を受ければ5年後の生存率は50%と言われた。その時、もう72歳だから、その宣告は受け入れようと覚悟した。そして終活に励んだ。

 がんになって良かったことは、自分のおよその寿命が分かったことだった。それまで、何となくいつまでも生きているような気分でいた。人は必ず死ぬのだから、自分の寿命がこのくらいでも何の不思議もない。受け入れようと思った。好きなことをして生きて来て、もうほとんど思い残すことはない。

 坂井のこの本はとても有益だった。覚悟を再確認させられた。がん患者は読むべきだと思う。