大岡昇平『成城だより』を読む

 大岡昇平『成城だより』(中公文庫)を読む。「作家の日記」が併録されている。「成城だより」は1979年11月から1980年10月までの1年間の日記。「作家の日記」は1957年11月から1958年4月までの日記。『成城だより』はこの後も『成城だよりⅡ』『成城だよりⅢ』と続いていく。

 大岡が成城に暮らすようになってからの日々を『文学界』に連載したもの。武田泰淳夫人の武田百合子の『富士日記』と異なり内容が濃くとても面白い。公開する日記でありながら結構批判の言葉は容赦ない。熱くなって語っていたりする。

 大岡ってこんなに激しい人だったのか。映画『地獄の黙示録』を巡っては新聞雑誌の批評を読み比べ、コンラッドの『闇の奥』も読み返し、サウンド・トラックを買い、ダイヤローグを入手して読んでいる。すごい情熱だ。

 しかしこの頃は個人情報という概念がないのか、息子の勤務先や娘の家族についても事細かく記している。大丈夫なのかと心配してしまう。そういえば昔は『マスコミ電話帳』に有名人の自宅の住所や電話番号が普通に載っていた。もしかしたら古い『マスコミ電話帳』はプレミアがついて高値で取引されているかもしれない。

 サルトルの死去に際して、日記には次のように書いている。

 

 5月9日 金曜日 雨

 やや暖。文芸誌、サルトルについて特集、間に合わなかったのか、慎重に構えたのか、一誌、翻訳者の追悼を載せたるのみ、主に読書新聞の記事となる。

 翻訳者の一人は、サルトルの生き方にはなにやら判然としない部分が多いという。翻訳でさんざん儲けておきながら、判然するもしないもないものだ。彼は最初から判然としなかったのであり、判然としなくても、小説ぐらい翻訳できるから困るなり。

 

 この翻訳者は白井浩司ではないだろうか。サルトルの『嘔吐』の訳者であるが、なにやら胡散臭い人物だった。

 「成城日記」を書いているとき、大岡は70歳で、いかにも老人ぽく足腰の衰えや体調不良を綴っている。でも現在の私より4歳も年下なのだ。私がもう少し老いを自覚するべきなのかもしれない、と反省した。