大岡昇平『成城だよりⅢ』を読む

 大岡昇平『成城だよりⅢ』(中公文庫)を読む。1985年、大岡75-76歳の時の日記。大岡はこの3年後に亡くなっている。『成城だより』の最終巻。外出して映画館でちょっと寒かったとき風邪を引いている。遠くまで散歩に出られないなど健康の不安を訴えている。当時の大岡は現在の私より1歳年上なのだが、弱り方がひどい印象だ。

 

1月2日 水曜日 晴 暖

(……)近頃、耳遠くよたよた歩き、みっともなければ、文壇会合には出ず、時々駅まで散歩に出るだけなり。冬は風邪がこわくて、ほとんど外出せず。もっぱら遺族のために働いているのだ、身なりなぞ、どうでもいいんだといえば、一同声を合わせて、「また、今年もそれをいう」という。ジーパンは時代おくれなれば、せめて外出にははいて出ないでくれという。

 

 満76歳の誕生日に当たって国文学者の吉田凞生より尾道の笠鯛が届く。

3月6日 水曜日 晴 

(……)喜寿の祝いと指定。還暦は満年齢、古希以後は数えの慣例なれど、戦後いつしか万事満となる。文藝家協会は来年にならないとくれないが、さすがに国文学者は古習による。奥床しく、うれしく、また改めて老いを感ず。こんなに長く生きるはずじゃなかった。

 

4月11日 木曜日 曇後雨 

(……)渋谷シネマ「アマデウス」なり。/「アマデウスアカデミー賞取って、音楽に合わせて映像作ったなんて威張られると面白くない。この賞を取るのは大抵二流作品なのだ。

 

8月12日 月曜日 曇

(……)8時過ぎ「水戸黄門」を見てるうち、2029,日航ジャンボジェット機123便遭難のニュース速報あり。NHKニュースセンター9時、テレビサスペンス時間となる。長野県東北部北相木村群馬県埼玉県境三国峠付近といえど明らかならず。(注:2029は20時29分の意)

 

9月15日 日曜日 晴

 夏目雅子逝く。4、5年前のテレビ連続番組「西遊記」の三蔵法師に扮せる姿思い出さる。われに男装女子、男っぽい女への倒錯あるはたしかなり。なぜだろうか。

 

10月17日 木曜日 曇

 寒し。『構造主義の冒険』(上野千鶴子著、勁草書房)読了。終章「発生的構造主義へ向けて」の章に、1960年代のレヴィ・ストロースとジオルジュ・ギュルヴィッチの論争のことが書かれているのを読み、はじめてストロースの『悲しき熱帯』を買った1962年9月のパリ滞在を思い出した。(中略)

 ストロースとバシュラールがこの時の発見、ただしあとにスペイン旅行の予定があったので、『悲しき熱帯』とジョルジュ・シャルボニエ『レヴィ・ストロースとの対話』、バシュラールは『水と夢』を買うに止めた。

 ギュルヴィッチもなんか買ったはずだと思って書庫を捜したら、あった。『弁証法社会学』で同年第三四半期にフラマリオンから出ている。ギュルヴィッチはソルボンヌ教授らしい几帳面さでプラトン弁証法からフィヒテヘーゲルマルクス、補遺としてサルトル弁証法まで論じている。239頁。

 そして驚くべきことに、私はそれを読んでいるのだ。傍線がずっと引いてある。しかしいま私の頭には何も残っていない。読んだことも、本が書棚にあることも忘れている。私の中にはこの本から何も残っていないのだ。

 情けない。失われた時間だ。ストロースは『悲しき熱帯』は取りつきにくいので、シャルボニエの『対話』で間に合わせ、あとは翻訳が出てから読んだ。バシュラールも帰国してから白水社に注文したが、ひまがなく、みな69年頃出た翻訳で読んだ。

 1971年フィンランドの帰りに寄った時は、ルシアン・ゴルドマンとドゥルーズが発見だった。ゴルドマンはルカーチの弟子、ユーゴスラビアの労働者自主管理の支持のルーマニア人で、折柄死んだところだった。

 偶然歩み入った本屋で買った遺稿を含むペーパーバックはいま書庫で見つからないが、「現実意識と可能意識」という考え方が面白くて、1974年に吉本隆明に質問してみたが、彼はゴルドマンのような「マルクス主義者」はきらいで、はっきりした返事は得られなかった。

 ところが上野さんは、結論的に書いている。

「私の意図は、ゴルドマンと同じく、社会科学における発生的構造主義の試みに参画することである。ここでの問題点は、個体レベルの『発生』という概念を、集団レベルの『歴史』概念に無媒介にアナロジイすることが可能かどうかということである」

 現実意識も狩野意識も集団に係る。15年たって、私はやっと自分と同じ問題意識を持った人にめぐり合ったことになる。長生きをしてよかった、ということになる。

 

 上野千鶴子がゴルドマンを評価しているのか!