谷口忠大『僕とアリスの夏物語』(岩波科学ライブラリー)を読む。副題が「人工知能の、その先へ」とあり、帯には「まさかの青春小説×本気の解説」とある。青春小説? 岩波科学ライブラリーは科学の普及書ではなかったか。
本書は小説とAI解説の2部構成になっている。悠翔(はると)は小学6年生の引きこもりの男の子、同級生の絵里奈が学校からプリントなど届けてくれる。両親は研究者で昼間は悠翔が一人で住んでいる。ある時、父の友人の研究者トゥーバー博士が悠翔と同い年くらいの金髪の女の子を連れてくる。アリスというその子は車いすに乗って現れた。博士はアリスを悠翔に預けて、しばらく一緒に暮らしてほしいという。
次の章が解説編になる。「知能」とは何だろうと問いかけている。機械の「知能」を研究して人間の「知能」に近づく方法があり、構成論的アプローチと呼ばれる。人口知能=AI技術は2010年代に生じた第3次人工知能ブームで飛躍的に発展を遂げた。それを支えたのが「コンピュータがデータから学ぶ」機械学習であり、その基盤となったディープラーニング(深層学習)だ。その学習や発達を探っていく。
金髪の少女アリスは立つこともできず言葉もわからなかったが、やがて這いずり、言葉も憶えていく。アリスは博士が作った人工知能のロボットだった。
アリスは人間の赤ん坊のように運動能力や知能が発達し、一人前のように成長していく。体は成長しないけれど。悠翔を訪ねてきた絵里奈もアリスを見て驚くが、やがて悠翔と一緒にアリスの相手をしてその成長を助ける。
この物語に悠翔の同級生でいじめっ子が加わり、その父親でジャーナリストがアリスに興味を持って近づいてくる。8話にわたって悠翔とアリス、絵里奈の物語が進行し、その都度小説部分より長い解説が加わる。岩波科学ライブラリーとして、この解説が本筋なのだが、本来無味乾燥になりがちな人工知能に関する解説を、青春小説を絡めることで問題を具体化し、興味深い内容になっている。
人口知能に関する入門書としてとても成功していると思う。最後に著者が言う。
本章の議論の締めくくりとして、アリスが悠翔にとって「人間」となった理由を考えたい。言葉を換えれば、アリスが悠翔の世界の中で、物質や道具ではなく「他者」になった理由、とも言えるかもしれない。もうちょっと踏み込んで比喩的に述べるならば、物語の中で悠翔自身が言及しているように「家族」になった、とも言えるかもしれない。
人口知能やロボットは、どうすれば悠翔にとっての「人間」になれるのだろうか。人間レベルの言語処理能力や環境認識能力をもてばよいのだろうか?
それは、問題設定としてずれているように思う。もちろん、ある程度の環境認識能力や運動能力をもたねば、この世界でまともに動けない。しかしアリスは決して、膨大な語彙を学習したわけでも、人間並みの物体認識能力をもったわけでもない。機械翻訳などそもそもできない。その一つひとつの「機能」をとってみれば、それらは現代の人工知能技術にすら劣るであろう。人間であれば小学生の域を出ないものだ。
しかしその全ては自らの経験に基づいており、環境に立脚して変わり続けることができる。知能にとって、環境との相互作用に基づく適応は重要だが、それは身体的な相互作用のみならず、記号的・言語的な相互作用においても重要だ。
筆者は、記号(言葉)の意味を支えるシステムである記号創発システムへの適応能力にこそ、人工知能が「人間」になるための重要な要件があると考えている。
巻末に引用文献一覧があり、もっと深く知るための案内になっている。