幸田文『木』(新潮文庫)を読む。名文家といえば私にとって、佐多稲子、幸田文、そして野見山暁治だ。幸田文は幸田露伴の娘、青木玉の母親。本書は単行本が発行された1992年に読んでいるから30年ぶりの再読になる。
最初の「えぞ松の更新」はとても印象に残っている。北海道のえぞ松は自然が厳しいので発芽しても育たない。しかし倒木の上に着床発芽したものは育つ。倒木の上だから一列に生育する。現在300年400年の成長をとげているものもある。それらは行儀よく一列一直線に並んで立っている。
そう聞いて幸田は北海道にえぞ松の倒木更新を見に行く。
「ひのき」では、真っすぐに素直に育たなかった檜について語られる。こぶを抱えたもの、ねじれのきたもの、曲ったもの、途中から二又になったもの等々、その歪みや曲りのところは内側も木の組織がムラになって、意固地に固く変質していて、材に挽こうとすれば抵抗が強く、挽いている最中からもうひどく反りかえったり、裂けてしまったりする。それをアテと呼んで、使いものにならぬ役立たずの厄介物だという。それを聞いて幸田はその木が可哀そうになった。それでアテがどんなふうに役立たずの厄介ものか見せてほしいと頼む。
製材所に準備がされていて、アテを挽き始める。半分まで素直に裁たれてきた板が、そこからぐうと身をねじった。裁たれつつ反りかえった。途中から急に反ったのだから、当然板の頭のほうは振られて、コンベヤを1尺も外へはみだした。「な、わかったろ。アテはこうなんだ。だからワルなんだ。」
屋久島へ縄文杉を見に行く。苦労してとうやくたどり着いた縄文杉は、根まわり28米、胸高直径5米、樹高30米、コンピューターの計算では樹齢7200年。またウィルソン株は根まわり32米、切口直径13米、樹齢推定3000年。
またしばらく幸田文を読んでみたい。