児玉博『堤清二 罪と業』(文春文庫)を読む。副題が「最後の告白」。セゾングループの総帥堤清二は2013年に亡くなった。児玉博はその前年2012年に堤に7回に渡ってインタビューを行った。その結果が本書だが、単行本は堤が亡くなった3年後に発行された。
堤清二は東大在学中、父堤康次郎に絶縁状を出した。当時清二は渡邉恒雄らとともに共産党の党員だった。しかしその後清二は共産党中央本部から除名処分を受ける。そして衆議院議長に就いた父の秘書官になった。
康次郎は西武鉄道を清二の異母弟義明に譲り、清二には場末の西武百貨店を継がせた。その時西武百貨店は破産状態だった。だから引き受けたようなところがある、と清二は言う。自分には自信があったからと。義明が西武鉄道を継いだことについて、「義明君」が凡庸なことは分かってた。西武鉄道なら誰が引き継いでも失敗することはないだろうと。
父堤康次郎が亡くなったとき、清二は、これで堤の家は僕が前面に立つことになると思った。
「清二さんがですか? 義明さんではなくて?」
「ええ、僕ですよ、堤の家の家長は。まだ義明君は子供だったでしょ?」
「世間では西武の継承者は義明さんだということになっていたと思います。現に西武鉄道、プリンスホテルなどすべて義明さんが引き継がれた」
「ああした事業は、まあ、誰がやってもというか……、大丈夫なんですよ。だから父は
義明君に任せたんでしょう。けれども父の後を、堤の家を継ぐのは僕ですから」
また、85歳の清二が「父に愛されていたのは、私なんです」と言い切った。
義明は幼稚だった。ある日突然側近たちを箱根プリンスホテルに招集し、馬乗り遊びをさせた。自分が子供の頃させてもらえなかった遊びをしたいからと。運転手にコロッケを買いに行かせ、ロールスロイスの中で一人頬張って「お前たちはこんな美味いものをいつもたべているのか」と言ったりした。
清二から見たら義明はほとんど無能力者の印象だったのだろうし、義明は優秀な兄清二に終生強いコンプレックスを抱いていただろう。
堤康次郎は日経新聞に「私の履歴書」を書いたが、始め受けるかどうか迷っていた。清二によれば、その迷いとは、「日経新聞っていったって、当時はただの株屋の新聞ですよ。株屋に“提灯”つけるような新聞だったな。果たしてあれが新聞かって? 全然高級じゃないんだな」。
なるほど、歴史を知らないと昔から大新聞だと思ってしまう。自分たちも錯覚しているかもしれないが。