辻邦生『小説を書くということ』を読む

 辻邦生『小説を書くということ』(中公文庫)を読む。1993年と94年のCWS創作学校での3回の講演「小説の魅力」と「小説における言葉」、「小説とは何か」、それに小説執筆に関わる3つの講演、そして「『春の戴冠』をめぐって」などの講演を記録したもの。

 辻邦生はもう50年前に、短篇集『城・夜』や『回廊にて』、『小説への序章』を読み、『夏の砦』を読んだところで読むのをやめた。何だか変に巧くてこれはおかしいのではないかと思った気がする。

 その後も片山杜秀辻邦生論を読んだこともあり、あまり積極的に読もうとは思わなかった。『辻邦生 全短篇1』(中公文庫)は購入して持っているけど未読。

 その片山杜秀辻邦生論、

 辻は若き日にトーマス・マンとかに影響されたとはいえ、やはりスタンダールを専攻し、パリに学んだフランス文学者で、しかもその小説には一貫して、読んでいて気恥ずかしくなってくるような甘さがある。幼い日にフランス人の宣教師にもらったかのボンボンの、どこかレアリテを欠いた、作り物っぽい、人工的な甘さとでもいえばいいか。辻の先輩格になる福永武彦なら、ちょっと照れてしまい、なんとか苦みをきかせて、慎重に隠しにかかるだろう。いかにもフランス的に過度に色づいた豊潤さへの憧れが、辻の文章では、どうも赤裸々になりすぎるのだ。

 また、別のところで、辻について「留学生文学」とも揶揄していた。

 この辻邦生の小説論はつまらなかった。このような理論的なことがつまらなくても優れた作家はいる。逆に理論的に優れていてもつまらない作家はいるだろう。理論と創作は別種のことなのだ。そして辻の創作論は読むに値しないということだ。昔『小説への序章』を読んだときも読後感はもやもやして「???」という印象だったことを思い出す。