東京目黒の金柑画廊で川口祐展「ある日、ある朝、ある時間」が開かれている(4月13日まで)。川口祐は1970年東京生まれ、2003年から3年間ギャラリイKで個展をし、その後数カ所のギャラリーで個展を開き、2013から2016年までSTORE FRONTで、2018年にはスイッチポイントギャラリーで個展をしてきた。最近は谷中のHAGISOで個展を行っている。
川口の言葉、
ある日、布団の中で柔らかい粘土の絵画があったら面白いなと思った。手の中で出来る絵画。普段は絵筆の先がどうやって絵の支持体に接するのか考えている。絵筆に限らないが、展示する壁や空間に身体を通して何がどうやって置かれるのか、触れていくのかに関心がある。前回の展覧会では、17.5㎝もある刷毛で5.5m×2.7mの床に直に支持体を作って絵を描き、その上を鑑賞者に歩いて貰った。今回展示する粘土の絵画は反対に小さく、手の中で作られる。絵画の大きさ自体に関心があり、大きくなったり小さくなったりする。
絵画の内容として、今まで何か象徴的なものを表そうとして描いたことはない。むしろ制作して出来た後の現象に近い。そこへ鑑賞者が関わり、現象から離れて鑑賞者の内面と関わっていくことで束の間の作品が現れる。何か象徴的なものを表さない代わりに「ものそのもの」を表現しようとしている。でも「ものそのもの」なんて存在しないことも分っている。そこが美術をやっていて面白いなと思っているのかもしれない。(後略)







画廊の4面の壁と表のショーウインドウに小さな作品が28点展示されている。それぞれ石鹸ほどの大きさで、色が付いている。これは紙粘土でできていて、絵の具が塗りこめられているらしい。手で握って造形されたような素朴な形態で、色彩はちょっとパステルカラーに近いような中間色だ。形も色もあまり主張していない。おだやかでニュートラルな印象だ。それが四囲の壁に横一列に並んでいる。作品の造形的な主張、声高なそれがあまり感じられないところが「ものそのもの」を示しているということなのだろうか。
前回の個展で、床一面に抽象的な筆触だけの「絵画」を展示したときに、観客や隣のカフェの客に自由に床の作品に立ち入らせているのを、ウクライナを侵略しているロシアを象徴しているようだと想像したが、今回はそのような社会批判を全く示していない。あるいはウクライナに見立てた私の見解が的外れだったのか。
今回の金柑画廊には静かな時間が流れている。
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川口祐展「ある日、ある朝、ある時間」
2025年3月22日(土)-4月13日(日)
12:00-19:00(木・金・土・祝日開廊)
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金柑画廊
東京都目黒区目黒4-26-7
電話03-5722-9061