金井美恵子『映画、柔らかい肌。映画にさわる』を読む

 金井美恵子エッセイ・コレクション『映画、柔らかい肌。映画にさわる』(平凡社)を読み終わった。4章が「映画と批評のことば」、5章が「映画から小説へ 1」として、山田宏一による金井美恵子へのインタヴュー、6章が同じく「映画から小説へ 2」として金井の短篇小説「水の娘。浴みする女」、7章が編集者による美恵子の姉の金井久美子へのインタヴュー「こうして本は作られた」で、実は美恵子の本の装幀はほとんど姉の久美子が担当しているのだ。久美子は画家で、コーネルのような箱のオブジェなどもたくさん作っている。銀座の村越画廊で何度か個展も開いている。
 さて、5章の山田宏一のインタヴューから、

金井美恵子  デパートで扱う絵画は雑貨部の担当なのよね(笑)。去年、辻井喬というか、堤清二が亡くなって、西武文化を評価する文化人がいろいろ書いたりしていたけれど、結局のところ、デパートという流通業の仕入部と雑貨部が、文化を扱ったということですよ。池袋の西部美術館なんて、わたしのイメージでは床につぎはぎのあるカーペットが敷いてあって、天井は低いし貧乏くさい空間でしたよ。だから、アンゼルム・キーファーの展覧会にはぴったりの空間だったけど……。

「貧乏くさい空間だったからキーファーの展覧会にぴったりだった」というのが分からない。あの時、キーファーの要請で美術館の床のカーペットをすべて剥がしたのだった。なんか、この辺の物言いは金井美恵子っぽいのかもしれないけど感じが悪い。

金井美恵子  (……)(ベルトルッチの)『革命前夜』(64年)のことを、辻邦生がボロクソに書いていたんですよ。左翼小児症的映画って調子でさ。そんなことあるわけない、と思ってさ、三百人劇場に見に行った帰りにタクシーで学習院の前を通ったら、歩いているの、辻先生が。私、よっぽどタクシーを降りてさ、はじめまして、金井美恵子と申しますが、『革命前夜』はベルトルッチの傑作だと思いますって言ってやろうかと思ったわよ(笑)。ベルトルッチと同世代のマルコ・ベロッキオの『中国は近い』(67年)を後から見てね、断然、ベロッキオのほうが好きですけど、『革命前夜』は辻ごとき者が批判すべき映画じゃない。
山田宏一  辻邦生は、たしかに、『革命前夜』は「幼稚な映画だ」って言っていたなあ。一度しか会ったことがないんだけど、いい人だったけど、こっちが『革命前夜』に熱を上げすぎていたので諫めてくれたのかもしれない。(後略)

 金井さん、辻邦生を否定しすぎ。山田さんは礼儀正しいなあ。
 金井美恵子エッセイ・コレクション全4巻のうち、1巻の『夜になっても遊びつづけろ』以外を読み終わった。その1巻はまだ買っていない。読もうかどうしようかと迷っている。なんか特にアクが強そうだから。
 ちなみにエッセイ・コレクション全4巻の構成は、
1.『夜になっても遊びつづけろ』 社会/メディアへの辛口批評
2.『猫、そのほかの動物』 さまざまな猫の話、金井ワールドの動物たちが登場。
3.『小説を読む、ことばを書く』 多彩な作家たちのテクストを読む。「ことば」をめぐる、批評の真骨頂。
4.『映画、柔らかい肌。映画にさわる』 本書。映画をめぐるエッセイを集大成。