菊畑茂久馬『戦後美術の原質』を読む

 菊畑茂久馬『戦後美術の原質』(葦書房)を読む。1950年代美術、浜田知明論、坂本繁二郎論が中心で、それに『美術手帖』に連載したエッセイを収録している。

 1950年代美術より、

(……)50年代美術は「肉体絵画」からはじまったのである。福沢一郎「虚脱」(1948年)、「敗戦群像」(1948年)、鶴岡政男「重い手」(1949年)、「夜の群像」(1950年)、麻生三郎「ひとり」(1951年)、阿部展也「飢え」(1949年)、「神話」(1951年)……頭に浮かぶまま並べてこのあたりで止まった。何かしらどこからともなく一種おぞましい気分が漂って来る。逃れようもなくわれわれ戦後思想の祖型である。どれもこれも、どろどろ、うねうね、うめき、苦しみ、転がされた「肉体絵画」である。

 

 菊畑は浜田知明について、「初年兵哀歌」や「風景」など一連の戦争を主題にしたシリーズを発表したのは、1951年から54年にかけてであるとして、その間の作品を絶賛する。

 浜田は1964年に一人ヨーロッパに旅立った。それについて菊畑は容赦ない。

 パリのフリードランデルの工房で制作した「盾と兜と貞操隊」(1965年)に始まる「わたしの見たヨーロッパシリーズ」は、浜田の仕事の中で最も脆弱な自己の思想的立脚点を見失った甚だしい崩壊現象を起こした作品であろう。

 

 坂本繁二郎について、

(坂本)繁二郎という人は、実はわたしたちが考えている日本の近代洋画の発展の過程や、絵描きの成熟のパターンをどこかで全面的に否定する、ないしは徹底的に暴露している画家ではないか。さらに言うと、日本における近代洋画の発展、とりわけ西欧文化導入の内実、あれはみんな虚妄ではないか、という何かひやりとするアンチテーゼを握っているような、少なくともその問題の仮説が立ち得る画家ではないか、そう思いはじめたのである。

 

 菊畑は単なる前衛的な地方画家などではなくて、美術評論家としても一流だったことがよく分かった。