菊畑茂久馬『絵かきが語る近代美術』(弦書房)を読む。九州派の重鎮菊畑茂久馬が平成13年から14年にかけて福岡県立美術館で連続講演をした記録を再構成・加筆したものとのこと。菊畑は画家だけれど、日本近代美術史としてきわめて面白い。
前半は江戸時代から明治初期までの西洋画受容史を取り上げている。平賀源内から司馬江漢、それらが高橋由一に繋がっていく。明治のお雇い外国人フェノロサの大きな影響、その弟子たる岡倉天心の重要性が指摘される。
もっともここらあたりは常識的だが、日本近代美術の父と言われる黒田清輝と夏目漱石が並べて論じられる。黒田清輝は明治の元勲の息子という選良で明治17年にフランスへ渡る。当時フランスではすでに印象派の活躍が始まっていたが、黒田は折衷的アカデミズムと言われるラファエル・コランに師事した。それが日本の近代美術にとって不幸だったと言われるが、菊畑は黒田が印象派を取り入れることは難しかったと、黒田に好意的だ。
黒田は10年ほどのフランス留学から日本に呼び戻される。菊畑は黒田の最盛期は滞欧最後のわずか4年のことだったという。それはあまりにも短い。帰国した黒田は美術官僚となり政治家とならざるを得ない。菊畑は、「黒田が後10年パリにとどまっていたら、ひょっとしたら後期印象派にま見えて、すごい芸術家になっていたかもしれません」とまで書く。
黒田とほぼ同年齢の夏目漱石の美術批評を菊畑は高く評価する。漱石は坂本繁二郎と青木繁を評価する。繁二郎は漱石の文章に胃よって画壇へ躍り出た。繁二郎は漱石の新聞記事を大事に死ぬまで持っていたという。
菊畑の美術史はそこから戦争画に飛んでいく。日中戦争から太平洋戦争にかけて軍部は画家たちに戦争画への協力を要請した。有名画家たちが次々と戦地へ赴き戦争画を仕上げた。中では最も優れた戦争画を描いたのが藤田嗣治だった。最終章である第8章は「藤田嗣治の戦争画」と題している。この章が本書の圧巻だった。藤田の戦争画を11点取り上げ、それぞれに解説を加えていく。とくに「アッツ島玉砕」を高く評価する。
「戦後になって、もう描かれて60年近くなりますが、評価は動かしようがありません。どんなイデオロギーをぶっかけても評価は動きません。藤田はたくさんの戦争画を描きましたが、私はこれ1枚でいいなあと思います」とまで書いている。
ついで評価するのが「サイパン同胞臣節を完うす」だ。日本軍30,629人ことごとく玉砕戦死、一般市民4,000人も自決した。菊畑は書く。「やっぱりつらい絵です。わたくし共はこの人たちの屍の上に生かされているのですから」と。
本書は菊畑の相当偏った日本洋画史だが、凡百の近代美術史にはない独創的で優れた論考だった。
「アッツ島玉砕」
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「サイパン同胞臣節を完うす」
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