会田誠 編『藤田嗣治の少女』を読む

 会田誠 編『藤田嗣治の少女』(講談社)を読む(見る)。藤田の描いた少女の絵をまとめたもの。冒頭で会田が書く。

多作な藤田嗣治の画業の中でも、少女を描いたものはやはり多い。ただし、いわゆる「少女愛」、もっと言えば「ロリータ・コンプレックス」によって描いたと思しきバルテュス(や不肖ワタクシ)などとは、少し――あるいは大いに――様子が違っているように感じられる。藤田の甥に当たる蘆原英了という人が書いた回想録には、藤田がフランス仕込みの大人の猥談を楽しそうに披露するエピソードが紹介されていたが、そういう方面ではごく健全な人だっただろう。

 また末尾に会田へのインタビューが載っている。藤田の監督した映画「子供の日本」を会田は見たが、地方文化を重視した藤田の態度に、戦後、縄文や沖縄の文化を再評価した岡本太郎の姿が重なって見えるという。二人ともパリ帰りだし、文化人類学的な見方が当時のパリの文化人のノリだったのだろう、と。

会田誠  (……)そういう意味で、エコール・ド・パリというのは、僕が美術家としてデビューした1980年代から90年代の現代美術における、マルチ・カルチュラリズムとどこか似たような要素があると思っています。強い西洋中心主義の流れがあって、その袋小路の果てに反動的に起こった、様々な文化に目を向けてみよう、という態度。僕もマルチ・カルチュラリズムによって活動を始めたタイプなので、特に初期は漫画や日本画を参照した作品が多いです。でもエコール・ド・パリもマルチ・カルチュラリズムも少し趣味性に流れるような弱点があるように思います。モディリアーニマリー・ローランサンも大芸術家というふうには残っていない気がします。藤田はそれをわかっていたんじゃないかという気がします。戦争と言う激動のシリアスな時代に、この裸婦像では対応できない、と。初期の《婦人像》を見ても、藤田はもともと油絵が得意ではなかったように思います。油絵というのは、絵の具の物質的迫力で説得力を作って、見る人をねじ伏せるようなメディアなんです。ところが藤田の作品は、どうしても薄塗りになってしまって、絵の具的迫力がない。だから逆転の発想で、面相筆や蒔絵筆を使って描いた細い線で「素晴らしき乳白色」の裸婦像を生み出した。

 さらに会田は、《山椒魚》のように露骨に藤田の書き方を意識した絵も制作したというが、藤田という画家の存在が会田の中で大きくなったのは藤田の戦争画を知ってからだという。趣味的な絵から脱して、本格的な絵描きになりたいと機運の高まりが、戦争画だったのだと。それが敗北した日本の戦争画だったというところが藤田の運が悪いところだった。

……それでも、《アッツ島玉砕》なんか、やはり良い作品です。焦げ茶色のオールオーバーな画面は、戦後世界的な風潮になる「熱い抽象」の先駆にさえ僕には思えます。

 やはり会田誠は優れた理論家でもあることを再認識した。



藤田嗣治の少女

藤田嗣治の少女