藤田嗣治の戦争画「サイパン同胞臣節を完うす」についても菊畑茂久馬は高く評価している。『絵かきが語る近代美術』(弦書房)より
私共同胞のむごたらしい死出の旅を描いた絵の、どこに戦意高揚のプロパガンダの意図がうかがえるのか。どこに軍の手先となった欺瞞的な嘘っぱちの絵の理由があるのか。戦後、丸木位里、俊の「原爆の図」が国中の人々の賞賛を浴び、藤田は国を追われました。何故か、何故かと考えながら絵を後にしました。簡単に今は答えない方がいい、いや永遠に答えはないのかもしれない、と自分に言い聞かせて、(東京国立近代美術)館を後にしました。
マリアナ諸島の小さな小さな小島、そこを守る守備隊陸軍中将斎藤義次、海軍中将南雲忠一は、昭和19年7月6日「軍は全員死をもって太平洋の防波堤たらん」と電文を打ち、両将軍自決、残った兵たちは翌々日の7月8日、死の総攻撃を敢行します。日本軍30,629人ことごとく玉砕戦死、翌9日北端の海岸に追いつめられた一般市民1万人のうち、断崖から身を投げたり手榴弾を炸裂させて自決した人4千人、藤田は玉砕直後一気に筆をとり、夜もほとんど寝ずに、この大画面を描き上げ、昭和20年4月の「戦争記録画展」に出品しました。やっぱりつらい絵です。わたくし共はこの人たちの屍の上に生かされているのですから。
Wikipediaによると、そのサイズは縦181cm、横362cm、さらに
「サイパン島同胞臣節を全うす」は、縦181cm、横362cmのサイズである。(中略)
画面は基本的にセピア色系の色彩でまとめられているが、画面中央付近の子どもが抱く日本人形、その右側の女性が髪を梳く櫛、そして画面右奥に見える日の丸が画面にアクセントを加えている。同じ玉砕を描いた「アッツ島玉砕」との大きな差としては、「サイパン島同胞臣節を全うす」は女性や子どもなど民間人や傷痍軍人を描いていることが挙げられる[3]。藤田の描いた戦争画で民間人を中心に描いた唯一のものであり、また戦争画の中に多くの女性を描いたのも「サイパン島同胞臣節を全うす」のみである。(中略)
「サイパン島同胞臣節を全うす」では総勢約40名の人物が描かれている。画面下方には既に亡くなった数名の人物が描かれ、画面左側には日本刀を突き下ろしながら介錯を行おうとする男、頭に包帯を巻き銃を構える男性など、画面中央部には抱き合いながら刺し違えようと刃物を持つ女性たち、竹槍を持ちながら立つ女性、長い髪を梳る女性、人形を抱きながら前をじっと見る女の子、赤ん坊に乳を与える母親などが描かれ、画面右側には軍刀を杖代わりとして立つ傷痍軍人、今まさに切腹しようとする男性。銃口を口に咥えながら足の指で引き金を引こうとする男性、崖を前に頭を抱えながら赤ん坊を抱いた女性、祈り叫びながら崖に飛び込もうとする女性たち、そして既に飛び降りて頭を下に崖を落ちていく女性などが描かれており、全体として集団自決の場面を描いているが、流血そのものは描かれていない。それぞれの人物のデッサンのレベルは極めて高く、不自然なところは見られない。そして中景は欠けており、遠景として小さく小集団が点々と描かれ、遠くの丘には小さく日の丸が翻っている。
戦争画を常設とする美術館、または戦争画常設展示室を作っても良いのかもしれない。