神奈川県立近代美術館で「戦争/美術1940-1950」を見る


 神奈川県立近代美術館葉山で「戦争/美術1940-1950」を見る。副題が「モダニズムの連鎖と変容」、その難しそうな題名の意味は、ちらしを読むと理解できる。

1940年代の日本は、戦争という美術家たちにとって非常に困難な時代でありながらも、モダニズムの成熟と転換という豊かな可能性を秘めた時代でもありました。本展は、戦前から戦後の時代を1940年代という時間の経過で捉え、これまで分断されてきた戦前、戦後の日本の美術史を新たな文脈でとらえ直そうという展覧会です。当館のコレクションの根幹を形成する松本竣介、朝井閑右衛門、 麻生三郎、鳥海青児、山口蓬春などの戦前戦後をつなぐ作品や資料に新たな照明を当てるとともに、丸木位里、俊夫妻の《原爆の図》に結実するまでの画業など、同時代の広がりも、絵画を中心に紹介します。総動員体制のもと自由が圧殺され戦争に突入し、敗戦をきっかけにしがらみから解放されるという極端な振れ幅の時代のなかで、優れた才能はどのような創造の営みを続けていたのか、あるいは中断や挫折を余儀なくされたのか。しなやかに、したたかに、ときに強情に生き抜いた画家たち。(後略)

 戦前から戦後の美術史を「連続」という視点で構成したものなのだ。一方に悲惨な戦争があり、画家たちは否応もなくそれに巻き込まれ、戦争画というプロパガンダを描いた(描かされた)。そして敗戦=戦争の終結とともに、運良く生き残った画家たちは再び美術の制作に戻っていく。こうして戦争を挟んだ時代を通時的に見たとき、意外にも戦前のモダニズムが戦後に連続していることが明らかに見てとれる。その視点はなかなか刺激的なのだった。
 最初に戦前の松本竣介や朝井閑右衛門、村井正誠、鳥海青児などのモダニズムの作品が展示されている。それが徐々に戦時体制に移っていくにつれて画面が重苦しく変わっていく。山口蓬春の《香港島最後の総攻撃》、松本竣介の《立てる自画像》。そして井上長三郎の《漂流》と藤田嗣治の《ソロモン海域に於ける米兵の末路》は同じ情景を描いたのではないかと思われるほど似ている。山下菊二の《日本の敵米国の崩壊》、これはシュールレアリズム絵画でもある。高畠達四郎によってビルマの農民が描かれ、藤田の《ブキテマの夜戦》が並べられる。
 戦後になって描かれた阿部展也《飢え》は戦場で餓死した兵隊たちの姿か。井上長三郎の《葬送曲》では男の弾くピアノの前の椅子に大元帥(?)の帽子が置かれている。丸木位里・俊夫妻の《原爆》シリーズが1室を取り巻いていて、その中央をイサム・ノグチの《広島原爆慰霊碑のためのマケット》が占めている。
 最後に村井正誠や山口蓬春、鳥海青児のモダンな作品が置かれ、だが山下菊二の代表作《あけぼの村物語》も並べられて、終戦=平和と単純に言い切れないことがきちんと主張されている。
 企画者の意図するとおり、戦争を挟んだ時代が、一方で「モダニズムの成熟と転換という豊かな可能性を秘めた時代でもあ」ったことがよく納得できた展覧会だった。
 展示されているほとんどの作品が神奈川県立近代美術館の所蔵品という、何とも見事な展覧会だ。さすが日本で最初の公立美術館という貫禄を示している。ただ、鎌倉の本館の土地が2年後に鎌倉八幡宮に返還されることに伴って、10年前ここ葉山に作られたこの新館は逗子から遠く、少々不便なことも否めない。さらに津波が怖い海岸端でもあり、もっと神奈川県の中央部に作られなかったのだろうか、とわずかに疑問を感じないではいられない。
 ともあれ、有意義な展覧会だった。私の行った日は客も数人しかいなくて、もったいないと思ったことだった。バス停で降りると、入口に続く道にリ・ウーファンや保田春彦の立体作品が並んでいる。建物もきれいで、展示会場も広々としていて気持ち良い。会期はまだ2週間残っている。多くの人に足を運んでほしいと思った。
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「戦争/美術1940-1950−−モダニズムの連鎖と変容」
2013年7月6日(土)→10月14日(月・祝)
9:30−17:00(月曜日休館)
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神奈川県立近代美術館 葉山
神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
電話046-875-2800
http://www.moma.pref.kanagawa.jp