正宗白鳥『何処へ 入江のほとり』を読む

 正宗白鳥『何処へ 入江のほとり』(講談社文芸文庫)を読む。白鳥を読むのはひと月前に『文壇五十年』(中公文庫)を読んで以来やっと2冊目。今回白鳥を読んだのは、先日読んだ安岡章太郎『文士の友情』(新潮社)に白鳥の「入江のほとり」を推薦している文章があったから。

 正宗さんの故郷は備前市というところだそうですけれど、ぼくは行ったことありません。ここを舞台にとった短篇を、若い頃、幾つか書いておられる。その中に『入江のほとり』というのがありますけれど、これは、読んだことがない方は、家へ帰ったらぜひ読んでみて下さい。ぼくが説明するよりか、読んでみればすぐ判るというか、非常にいいということがお判りになるでしょう。

 白鳥は1962年に83歳で亡くなっているが、『何処へ 入江のほとり』は28歳ののときに書いた「塵埃」から82歳のときの作品「リー兄さん」まで、ほぼ50年にわたる創作活動の中から8篇を収録している。すると、白鳥にかんしてはほとんど知らないが、これが代表作集と考えても良いのだろう。
 白鳥は小説のほか、戯曲、文芸評論と多岐にわたる活躍をしていたようだが、本書を読むかぎり小説は自然主義文学に属するだろう。自然主義文学は、『広辞苑』を引用すれば「理想化を行わず、醜悪・瑣末なものを忌まず、現実をただあるがままに写しとることを本旨とする立場」とある。日本では島崎藤村田山花袋徳田秋声などの名前が思い出される。私は藤村のいくつかの作品を除いて、これらをほとんど読んだことがない。
 本書で見るかぎり、白鳥も多く自分の家族を題材にして作品を書いている。たいていの家族同様、特段の事件があるわけではない。葛藤が描かれるが、大きなそれではなくいわば瑣末なものにすぎない。
 白鳥は『文壇五十年』で、「幸田露伴の作品も、私にはその晩年のは多少読み応えがするのであったが、紅葉と並んで新進作家としての華やかな生存を示していた頃のは殆ど面白くなかった。その作品に示されている理想は私の心に感銘されなかった。紅葉は技巧だけ、露伴には理想があると、早くから云われている。露伴の理想など何ほどの事かあらん、と私は早くから思っていたが、今回顧すると、なお更そう思われる。(鴎外、漱石、藤村などのような)勿体振った人々の理想、社会批判だって、有ふれた凡庸のものではなかったか。荷風の社会批判だってさしたる事ではなかった」と書いていた。これはそのまま白鳥自身にも当てはまるのではないか。
 中では安岡の言うとおり「入江のほとり」が群を抜いているだろう。長兄の栄一には、故郷に独学で英語を勉強している変わり者の弟辰男がいる。栄一が帰省した折り、弟と近所の小山へ登る。眼下の瀬戸内海を眺めながら栄一が弟に語る。

「今お前の書いた英文を一寸見たが、全(まる)で無茶苦茶で些(ちっ)とも意味が通っていないよ。あれじゃいろんな字を並べているのに過ぎないね。三年も五年も一生懸命で頭を使って、あんなことをやっているのは愚の極だよ。発音の方は尚更間違いだらけだろう。独案内の仮名なんかを当てにしてちゃ駄目だぜ。」
「…………。」
「娯楽(なぐさみ)にやるのなら何でもいい訳だが、それにしても和歌とか発句とか田舎にいてもやれて、下手なら下手なりに人に見せられるような者をやった方が面白かろうじゃないか。他人には全で分らない英文を作ったって何にもならんと思うが、お前はあれが他人に通用するとでも思ってるのかい。」
 そう云った栄一の語勢は鋭かった。弟の愚を憐れむよりも罵り嘲るような調子であった。「…………。」辰男は黒ずんだ唇を堅く閉じていたが、目には涙が浮んだ。

 群を抜いていると書いたが、白鳥の中ではであり、安岡の言う「非常にいい」というのは過大評価としか思えなかった。
 家族を題材にして小説を書くことがつまらないのではない。吉行淳之助の小説も身近なことや体験したことを核にして書いている。それがあんなにも優れて面白いのだから。あらためて自然主義文学に興味をもてないことを確信したのだった。


安岡章太郎『文士の友情』を読む(2013年9月26日)
正宗白鳥『文壇五十年』を読む(2013年9月20日


何処へ・入江のほとり (講談社文芸文庫)

何処へ・入江のほとり (講談社文芸文庫)