常盤新平『冬ごもり』(祥伝社)を読んで

 朝日新聞に連載されているコラム「東京物語散歩」は小説に描かれた東京の駅周辺の街を紹介している。3月7日に掲載されたのは常盤新平の短篇集『冬ごもり』だった。副題が「東京平井物語」、JR総武線平井駅を取り上げていて、全ての話で平井が舞台になっている。平井駅はわが家から最も近いJRの駅だ。しかし数カ月だけ勤めた新小岩の派遣先へ通勤するときに利用したほかは、ほとんど利用したことはない。それでも近いので何となく親近感はある。それでこの作品を読んでみた。
 平井は荒川と旧中川に挟まれた小さな街で、駅前も派手な建物はなく、商店街も小規模なものだ。収録された8つの短篇は共通してシャイな若者と親切な街の人たち、魅力的な女性が描かれている。カバーに載っている惹句から、

今なお残る下町の面影を背景に、若者の純な恋、熱い愛から大人のほのかな慕情まで、さまざまな愛の在り方を、名手が心温まる筆致で描く珠玉の読切作品集!

 全くこの紹介文のとおりだった。しんみりとした気持ちで読み終えた。しかしながら、読書中にはやくも不満が生じていた。文章が輝いていないのだ。小説の構造にも見るべきものが少ない。印象が感情の表面にしか届かない。
 おまえはなぜそんな生意気なことを言うのか。それは私が最近『第三の新人名作選』(講談社文芸文庫)を読んだからだ。第三の新人とは戦後派に対して新しく登場した作家たちに付けられた名前で、敗戦時におおむね30歳代であった野間宏埴谷雄高、椎名鱗三、武田泰淳らの「第一次戦後派」、安部公房堀田善衛三島由紀夫らの「第二次戦後派」に続いて出現した作家たちを呼んだものだ。戦後派に比べて問題意識が小さく、個人的なことを主題にしていると多少軽く見られた感がある。
 しかしその後彼らは文壇の大御所となり、もうほとんどが鬼籍に入っている。第三の「新人」とは何とも形容矛盾なのだが。
 ここで取り上げられている作家は10人。阿川弘之遠藤周作小沼丹近藤啓太郎小島信夫島尾敏雄庄野潤三三浦朱門安岡章太郎吉行淳之介だ。おや、これは目次を書き写したのだが、五十音順になっているではないか。名作選と銘打っているだけあって、みな巧い。その中ではトリを取っている吉行淳之介の『驟雨』が最も良かった。吉行は私が一番好きな作家であるからかも知れないが。
 『冬ごもり』に戻っていえば、今はもうない平井の蕎麦屋「無窮庵 増音」に全く触れてないのも不満だった。杉浦日向子の『ソバ屋で憩う−−悦楽の名店ガイド101−−』(新潮文庫)に東京の隅田川以東で唯一採り上げられたのが平井の増音だったのに。12年ほど前に増音に行ったときはすでにご主人の健康の問題で土日のみの営業だったが、その後閉店し、さらに更地になっていた。閉店する前に何度か行って、メニューの「三味」というのを注文したが、三段重ねのせいろの一段目が海苔、二段目が胡麻、三段目におかかが振ってあった。


もっとソバ屋で憩う―きっと満足123店 (新潮文庫)

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