『評伝 野上彌生子』を読む


 岩橋邦枝『評伝 野上彌生子』(新潮社)を読む。副題が「迷路を抜けて森へ」といい、これは野上の代表的長篇『迷路』と『森』に掛けている。とても優れた評伝だった。野上の顕彰すべきところはきちんと顕彰し、欠点もちゃんと指摘している。
 野上彌生子は野上豊一郎と結婚したが、豊一郎は夏目漱石の弟子だった。その関係で彌生子は習作「明暗」を漱石に読んでもらい、ていねいな指導を受ける。漱石の手紙に「明暗の著作者もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず文学者として年をとるべし」と書かれていた。彌生子は漱石の指導どおり亡くなる99歳まで精進を重ね、傑作『迷路』『秀吉と利休』『森』を書いて文化勲章まで受章した。
 彌生子は夫豊一郎を通じて安部能成中勘助岩波茂雄等々、錚々たる人物たちと交流を持った。とくに結婚後に知った中勘助には恋愛感情を抱き、それを告白して断られてもいる。
 中勘助には長年親しいつきあいの続いた人妻がいた。その江木万世は鏑木清方の代表作「築地明石町」のモデルになった美人だ。万世から愛の告白をされた中はこれも断っている。しかし中は万世の娘の妙子のことは幼女の頃から溺愛した。中は自ら小児愛的傾向を認めている。妙子も成長すると中に求婚したが、中はこれも断った。
 これらのことは富岡多恵子の『中勘助の恋』に詳しい。これまた優れた評伝だ。
 彌生子は戦時中、ロシア文学者の湯浅芳子との私的な会話で日本がアメリカに負けた後のことを話題にし、警察に呼ばれている。ところが注意を受けただけだった。彌生子の三男の妻三枝子の祖父と伯父は高名な法学者で男爵であった。さらに三枝子の曾祖父は渋沢栄一だった。
 彌生子は豊一郎の死後、軽井沢の大学村の隣人の哲学者田辺元と親しくなり相思相愛にまでなり、以後個人的に哲学の講義を受けるようになる。
 彌生子の戦後に書かれた長篇小説『迷路』『秀吉と利休』『森』は文壇で絶賛される。岩橋邦枝もこれらに極めて高い評価を与えている。
 本書とともに、富岡多恵子が書いた『中勘助の恋』、瀬戸内寂聴湯浅芳子を書いた『孤高の人』を併せ読むとなお理解が深まるだろう。ロシア文学湯浅芳子は彌生子の友人宮本百合子の同棲相手で同性愛者だった。
 私たちはまた優れた評伝を得ることができた。前記の瀬戸内寂聴孤高の人』、富岡多恵子中勘助の恋」、そして高井有一立原正秋』、中村稔の駒井哲郎伝『束の間の幻影』など。