佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)を読む。岩波書店のPR誌『図書』に2年間連載したもの。作家佐藤正午が著名な12冊の小説を取り上げて感想を書いている。これが面白い。作家らしく文体などのある種細部にこだわり、それを追求していく。
中勘助の『銀の匙』の特徴は読点が極端に少ない文体だということ。読点がないと音読するとき息継ぎが難しい。この作品が「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫〉」で漱石の『こころ』と『坊ちゃん』に次いで3位に入った。そのことから、佐藤は最後にこう述べる。
この作品、この読点なしの息継ぎの困難な文体、この音読に不向きな本がいまだに大勢の読者に支持され続けているのは、人が本を読むとき声に出しては読まないことの何よりの証拠だろう。
菊池寛の『形』を取り上げる。文庫本で3ページに満たない短編だという。時間があまるので他の短編もいくつか読む。あと「文芸作品の内容的価値」という評論も読む。それだけ読んで菊池寛を読み切った気になって(……)、と書き、読み切ったとはこの場合、「見きわめる」のニュアンスを滲ませて使っているという。
章の終わりに「追記」が書かれている。菊池寛の「形」が始まって6行目に「服折り」という言葉が出てくる。佐藤はこの漢字が読めなかった。追記は担当の編集者が書けというのでしぶしぶ書いている。
ここで(編集者が)何が言いたいのかというと、本文のなかであなたは菊池寛の小説を「読み切って」いるけれど、実のところ、その小説に出てくる漢字一つ読めなかったじゃないですか、とたぶん言いたいのだろう。ごもっとも、なので何も言い返さない。
ちなみに服折りは「はおり」と読むのだと、岩波書店の(担当の編集者ではなく)もっと博識な編集者に教えていただいた。意味は、関心のあるかたは各自辞典をひてみてください。
『広辞苑』第4版にも『角川漢和中辞典』第194版にも載っていなかった。ネットで見ると、「教えて!goo」にリンクが貼ってあった。
下記ページから「菊池寛「形」鑑賞―松本清張の講演を援用しつつ―」をクリックしてご覧下さい。5ページに書いてあります。
http://scs.kyushu-u.ac.jp/~th/nitibun/kyudainiti …
リンクを辿ると「九大日文」02に、「菊池寛「形」鑑賞―松本清張の講演を援用しつつ―」を花田俊典が書いている。そこには「服折」に「ふくおり」とルビが振られ(羽織)と書かれている。
「教えて!goo」の別の回答者も読みは「ふくを(お)り」だと答えている。回答者2人は同じ文献を示しているようだが。
「はおり」なのか「ふくおり」なのか私には分らない。
甲田文の『流れる』を取り上げた回も、十数人の読者から佐藤の誤りが指摘される。「きんとんと云えば体裁がいいがいんぎんの煮豆」とあるのを、佐藤は「慇懃の煮豆」と解釈して、それに沿って書評を進める。だが「いんぎん」は隠元豆のことだと指摘される。この時の「追記」は6ページに及んでいる。
終始からめ手からの書評で、作家は(佐藤は)こんな風に読むのかと面白かった。