『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』を読んで

 先日読んだ星野保『菌世界紀行』(岩波科学ライブラリー)の巻末に、「さらに知識を深めたい読者のための文献紹介」が載っていて、その中に「ロシアについて」という項があり、『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』が紹介されていた。

ヴェネディクト・エロフェーエフ著、安岡治子訳『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』、国書刊行会、1966年
しらふで読むうちに、なぜか酔っているような感覚に襲われる。私が見てきた酔っ払いの人たちは、「つらいから飲む」という、こんな世界に生きていたのだろうか。もちろんソビエト時代は発禁書。古書で入手可能。

 これが奇妙な小説だった。主人公のモノローグなんだが、ほとんど酔っ払っている。モスクワ発の列車に乗ってペトゥシキまで行く道中を描いているのだけれど、毎週出かけているこの列車の旅が今回はなんだか様子が変なのだ。ペトゥシキには可愛い恋人と幼い息子が待っているのに、飲み過ぎたせいばかりでもないようだ。いつもは2時間15分の列車の旅なのに、いつまでたっても着かないのだ。
 しかし主人公ヴェーニチカの飲みっぷりはすさまじいものだ。てか、飲んで酔っ払っている状態で終始している。「ジュネーヴの息吹」というカクテルのつくり方が書いてあるが、ふざけすぎではないか。そのレシピ

  ホワイトライラック   50グラム
  水虫薬         50グラム
  ジグリ・ビール    200グラム
  揮発性ワニス    150グラム

 「雌犬のはらわた」ではシャンプーやフケ止め薬、接着剤にエンジン液、殺虫剤まで使っている。
 なんだか、トリストラム・シャンディの荒唐無稽さにも似ているなあと思って読んでいたが、訳者のあとがきを読めば、そんな半端なものではないようだ。

 作品の表層を覆うプロットは、饒舌なアル中の自堕落な生活とその非業の死の物語である。けれども、それを支える文章には、ロシアや西欧の文学作品、音楽、絵画、彫刻、それにソ連社会主義イデオロギープロパガンダ、スローガンなどの引用、アリュージョン、もじり、パロディなどが至るところにちりばめられている。一言一句に込められたこれらのダブルイメージをつぶさに味わい、作者の知的世界を共有するためには、読む側にも同等の知識と教養が要求されるのだが、これは実際上、容易なことではない。

 いや、要求される水準の1割に満たないだろう私の知識と教養では、それらを共有するのはほとんど無理だった。だから面白さも理解できなかったのだろう。


酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行 (文学の冒険シリーズ)

酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行 (文学の冒険シリーズ)