東京砧公園の世田谷美術館で麻生三郎展「三軒茶屋の頃、そしてベン・シャーン」が開かれている(6月18日まで)。以前、美術評論家の針生一郎氏の講演を聞いたとき、自分は戦後の画家で優れていると思うのは、松本峻介、麻生三郎、鶴岡政男だと言われた。麻生三郎はときどき数点くらいはあちこちの美術館で見ていたが、まとめて見たのは初めてだった。
ちらしには、展示室内の混雑を避けるため「日時指定券」を発売します、とあった。私は連休初日の4月29日の午前中に行ったのだったが、入場者は少なく館内はがらがらだった。混雑とは程遠い状況だ。理由は簡単だ。麻生三郎の作品はみな暗く、一般の絵画愛好家たちが好む印象派のような明るい絵とは真逆なものだからだ。作品によっては暗くて何が描かれているのか分からないようなものも少なくない。
ちらしの文章を引用する。
現代の人間像を鋭く見つめ、戦後美術に確かな足跡を印した画家・麻生三郎(1913-2000)。その生誕110年を記念し、麻生が世田谷に住んだ25年間に焦点を定めた展覧会を開催いたします。
戦争末期の空襲で豊島区長崎のアトリエを失った麻生は、1948年、世田谷区三軒茶屋にアトリエを構えました。この再出発の地から《ひとり》(1951年)や1950年代半ばにくり返し描いた《赤い空》の連作など、戦後復興期の代表作が生まれました。
1960年代には、安保闘争やベトナム戦争といった社会問題に麻生は作品を描くことで向き合い、個の尊厳をきびしく問います。一方、虫や小鳥など、身近なものにも澄んだまなざしを向けました。しかし、首都高速道路や地下鉄の建設工事で制作環境が悪化し、1972年、麻生は川崎市多摩区生田へと転居しました。(後略)
しかし、暗い絵をじっくり見れば、針生氏の言われた戦後3人の優れた画家に麻生三郎が含まれるという主張が納得できる。きわめて優れた画家なのだ。
さらに、副題に「三軒茶屋の頃、そしてベン・シャーン」とあるように、麻生がコレクションしたベン・シャーンの作品が併せて展示されている。それも見応えがあった。
麻生は三軒茶屋にアトリエを構えていたが、首都高速道路や地下鉄の建設で制作環境が悪化し、59歳の時に川崎市生田へ転居する。本展は麻生が世田谷区に住んでいた時代までの作品を中心に展示している。転居した後麻生は27年間生田で過ごしている。その晩年に麻生の作品がどんな展開を見せたのか気になった。
麻生は身近な風景をペンで描いていた。そのペン画はほしいと思ったのだった。
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2023年4月22日(土)-6月18日(日)
10:00-18:00(月曜休館)
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東京都世田谷区砧公園1-2
電話050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://www.setagayaartmuseum.or.jp