多摩美術大学美術館で宮崎進展を見る


 もう10年も前になるが、東京日本橋にギャラリー汲美という日本の現代美術を扱っている企画画廊があった。画廊主の磯良さんが亡くなって画廊も閉廊した。磯良さんははじめコレクターだった。よく通っていた西新宿にあった杏美画廊の信藤さんに将来画廊を開きたいと話すと、それなら早いほうがいいといわれた。早速銀座にギャラリー汲美を開いた。名前は好きだった画家菅井汲と杏美画廊からつけた。
 その杏美画廊はきわめて小さな画廊だったが、年に1回現代美術の3人展を開いていた。3人とは、脇田和野見山暁治宮崎進だった。一時この画廊で働いていた画家の奥村欣央さんによれば、信藤ははじめ3人展の画家に宮崎進ではなく麻生三郎を選んでいた。それが脇田和からクレームがついた。麻生と組むのは嫌だと。
 なぜ脇田が麻生を嫌ったのか分からない。おそらく性格などの問題だろう。同時に脇田の作風と麻生のそれは全く違う。脇田と宮崎も違うが。脇田はむしろ具象傾向が強い画家で色彩も美しく少々甘い作風だ。だからファンも多く軽井沢に個人美術館も作られていた。
 脇田に比して麻生も宮崎も厳しく激しい作品を作っている。麻生の強く激しい色彩、社会と個との矛盾を決して主題的にではなく取り上げた作風など、脇田の温さとは真逆と言っていいだろう。宮崎も戦後シベリアに抑留されていた過酷な体験をテーマに抽象作品を作っている。もし性格ではなかったら脇田は麻生の社会性をこそ嫌ったのかもしれない。
 さて、宮崎進は1922年山口県生まれ。20歳で日本美術学校を繰上げ卒業し出兵、敗戦後1949年までシベリアに抑留された。1967年には安井賞を受賞している。その宮崎の主要な作品はドンゴロス(麻袋=麻布)で作られている。麻布を何枚も重ねて貼り合わせ、絵の具が塗り重ねられる。麻布の上に人体や顔が描かれることもある。非常に重苦しい作品だ。宮崎は自身のシベリア抑留体験を作品にしている。初期の風景や労働する人を描いた作品も暗いものだったが、やがて麻布を貼り合わせたシベリアシリーズが始まる。タイトルを見ても「絶望」「生きるもの」「孤独な人」「不安な顔」「ラーゲリの壁」「いたましきもの」と厳しい言葉が続く。ラーゲリとはソ連の捕虜収容所のことだ。宮崎の言葉。「そこでの悲惨な生活は写実的に描くことでは絶対に表現できない。そのような思いから、わたしは、シミだらけの襤褸(ぼろ)のような布のコラージュを手法として用いた」。
 宮崎はシベリアでの過酷で悲惨な生活を麻布のコラージュという手法で象徴的に描いた。象徴的にということは正面切って声高にそれを告発しているのではないということだ。麻生三郎と比べたとき、麻生の作品にやはり声高ではないものの社会的な告発の声が潜んでいることが宮崎と違っている。宮崎は告発しない。ただそれに耐えている。耐えているということは過酷で悲惨な体験を受容しているということではもちろんない。宮崎同様シベリアに抑留されていて、その体験をテーマにした詩を書いた石原吉郎がエッセイに書いている。

 「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。
 もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」
これは、私の友人が強制収容所で取調べを受けたさいの、取調官に対する彼の最後の発言である。その後彼は死に、その言葉だけが重苦しく私のなかに残った。この言葉は挑発でも、抗議でもない。ありのままの事実の承認である。……

 宮崎にソ連の捕虜収容所を告発する気持ちがなかったはずはない。しかし、宮崎は作品のなかに声高な告発を表現することなく、あたかもヨブが神の試練を受け入れた姿勢にも似て、その受難を実存として引き受けたかのごとく描き出す。
 絵は美しいものも描く。新しい造形的な開拓も試みる。様々な告発もする。そして宮崎進のような世界も描くのだ。過酷で悲惨な体験を告発することなく淡々とタブローに定着させていく。宮崎の作品は美しいものではない。造形的に新しいわけでもない。社会的な主張があるわけでもない。過酷で悲惨な環境のなかで一人の人間がどう生きたか、世界をどう見たかの造形的な試みなのだった。
 宮崎は平面作品のほかに、立体作品も制作している。平面作品がマチエールの強さで作品を成立させているのに対して、宮崎の立体作品は平面作品の完成度に届いていないと思われる。立体作品には造形的な要素が欠かせない。その点で平面作品にあるマチエールの要素が立体作品には欠けている。造形的な弱さが露呈してしまっていると思われるのだ。
 多摩美術大学美術館は大きな箱ではない。2009年にここで宮崎進展を開催したという。今回はそれに続く1990年代以降の作品を展示しているという。小ぶりな展示ながらも晩年の宮崎のエッセンスがよく分かる良い展覧会だと思う。
     ・
宮崎進――すべてが沁みる大地
2017年7月15日(土)―10月9日(月)
10:00−18:00(入館は17:00まで、火曜日休館)
     ・
多摩美術大学美術館
東京都多摩市落合1-33-1
電話042-357-1251
http://www.tamabi.ac.jp/museum/
多摩センター駅 徒歩7分京王相模原線小田急多摩線多摩モノレール


※追記(8月17日)
 奥村欣央さんのブログに宮崎進のことが紹介されていた。
 奥村さんは杏美画廊で働いていたから、内輪のことに詳しいのだ。

 野見山暁治さんのキッチンで、(杏美画廊の)信藤正雄と僕の三人での食事中に、宮崎進さんの話になった。
 野見山さんは「あれだけの空間を表現できるのに、人物を描いてしまうのは、宮崎さん、もったいないな」と言うと、信藤さんが「宮崎さん、人物を描かないと、絵が売れなくなるって勘違いしてるみたいですよ」と言った。

 野見山暁治宮崎進を高く評価していたのだ。