西加奈子『くもをさがす』(河出書房新社)を読む。4月30日初版発行で、4日後の5月4日付でもう3刷となっているベストセラーだ。カナダに滞在していた西加奈子が乳がんと診察される。ステージ2Bだった。リンパ節に転移しており、抗がん剤治療を経て両乳房の切除に至るカナダでの闘病生活を綴っている。幼い子どもはまだ4歳だった。
家族に聞かれないよう風呂場で号泣した、その後もしばしば泣いたと書いている。
私が食道がんのステージ3であることを診断されたのは72歳だった。それは西加奈子との大きな違いだろう。私はもう人生の終わりの年代だった。娘は結婚していたし、私自身仕事からは離れていた。がんの診断はそこそこ驚いたが割合冷静に受け止めることができた。
私は20歳の頃親しい友人が8人いた。その内もう5人が亡くなってしまった。自殺が2人、がんが3人だった。3人のがんは肝臓がん1人と肺がんが2人だった。もうこの年になれば亡くなるのは不思議ではない。その順番が自分になっても自然に受け入れられると思った。
若い頃よくサルトルを読んでいた。サルトルは最近は忘れられた哲学者と言われているそうだ。サルトルからは自分の置かれた状況を引き受けるということを学んだ。引き受けるとはあきらめることとは違う。もと積極的にその状況を所与のものとして対応していくのだ。
医者からは食道切除の手術を受ければ5年後の生存率は50%と言われた。それでは自分の寿命はあと5年だと考えて行動しようと思った。どうしても実現したいことに絞っての生を全うしよう。やがて落ち着くとがんになったのは悪くないと思えた。それまで自分の寿命など具体的に考えたことがなかったのに、それが予測できることになった。だらだらと生きて突然死ぬよりは余命の計画ができるのは悪くないと思えた。もう十分生きてきたし。
西加奈子の体験で一番驚いたのは、カナダでは両乳房切除の手術を日帰りで行うということだった。私も手術翌日からリハビリで歩かされたのは驚いたが、日帰りの手術というのは想像ができない。
西加奈子はカナダでの治療体験をきわめて肯定的に語っている。担当した医師や看護師の仕事を高く評価している。ちょっとほめ過ぎじゃないかと思うほどに。そんなことを思ったのは、以前読んだ高橋三千綱の食道がん闘病記が医者への呪詛に満ちていたからだ。西も高橋も両極端に思われた。
それにしても西加奈子も書いているが、手術はともかく抗がん剤治療の苦しさは特別のものだった。できれば二度と体験したくはないものだ。