阪本良弘『がんと外科医』を読む

 阪本良弘『がんと外科医』(岩波新書)を読む。先月読んだ坂井律子『〈いのち〉とがん』(岩波新書)の著者坂井の主治医をして膵がんの手術を担当した外科医の著書だ。阪本は肝胆膵外科の専門医。(肝胆膵とは肝臓・胆管・膵臓の略称)。肝胆膵外科とは何か、どんな手術をするのか、治療の歴史と現在、医療教育の実際が具体的に記される。外科手術がこんなにも大変なものだったのかと今更ながら驚嘆する。専門用語が頻出するが読み出すとやめられないのは著者の文章力だろう。

 冒頭「肝臓がん手術の一日」で、具体的な手術の様子が経時的に詳しく記述される。がん腫瘍のできている肝臓を切除するが、肝臓の周囲には下大静脈など太い血管が走行している。それらを傷つけないで、それより細い肝静脈をすべて切離して肝臓の背面を下大静脈から完全に浮かせることから始める。肝臓の授動(浮かせること)では地味な作業を我慢して継続した暁に、初めて肝臓を離断するステップに進むことができる。このように大きな肝腫瘍の切除で、十分な授動をせずに肝臓を離断すると、結局肝臓の奥深い部分からの出血への対応がむずかしくなり、手術時間も出血量も増加する可能性がある。まさに、急がば回れ、である。

 

 実際、欧米の手術を見学すると、日本の外科医ほどには止血にこだわらず、むしろスピード重視の傾向にある。手術室の占有時間がすなわち人件費に直結し、日本以上に数字や売り上げが重視されるために、丁寧にこつこつ手術を続けることは必ずしも評価されない。だから、欧米と日本では肝臓の手術方法は弱冠異なっていて当然である。

 

 以前、拡大左肝切除と膵頭十二指腸切除に肝動脈と門脈の合併切除と再建を必要とする高難度の手術を執刀したことがあった。がんはきれいに切除されたが、手術には15時間もかかったという。15時間の神経を集中する手術とは、外科医にとってどんなに過酷な仕事なのだろう。

 私の受けた食道がんの手術も5時間以上かかっている。その間神経を張り詰めて手術に専念した担当外科医にあらためて敬意を表したい。

 次いで、肝臓がん、胆管がん、膵がんについて解説される。私の友人も一人は肝臓がんで、もう一人は膵がんで亡くなっている。それらのがんについて詳しく知ることができた。

 終盤、「ある患者さんとの出会い」という章で、『〈いのち〉とがん』を書いた坂井律子の膵がんを担当した経緯が語られる。2冊の本を読めば、患者と担当医の双方からの見方が照合できる

 ある意味専門的な本なのに、自分ががんを患ったことを差し引いても極めて興味深い読書だったと思う。外科医への尊敬が深まったのだった。