死ぬ前に誰に会いたいか

 先日友人二人とzoomで雑談した。その時一人の友人がいよいよ死ぬとなったらぜひ会いに来てくれと言った。私はそんな状態では誰とも会いたくないから来ないでくれ、もし最後の別れをするなら元気なうちに会いに来てくれと言った。

 その友人は元気で当分死とは縁がないように見える。かつて骨折と脊柱管狭窄症で長い間入院していたことがあった。骨折も脊柱管狭窄症も腰とかは痛むものの、頭は健康な時と変わらず、見舞いに行ったらとても喜んでくれた。

 私が見舞いを断ったのは、抗がん剤治療の経験からだった。私は食道がんと診断されてから抗がん剤治療で3回入院した。ステージ3と診断されて、がん細胞を攻撃して腫瘍を抑えるためだった。1回の入院は1週間で、入院翌日から抗がん剤を24時間点滴で入れて、それが6日間続く。退院して2週間自宅で過ごし、また1週間入院する。それを3回繰り返した。

 抗がん剤は危険な薬とかで、点滴薬を入れ替える時は必ず看護士が二人でやり、二人ともコロナの患者を看護するときのように完全防備の服装をした。点滴の薬も二人で復唱し確認していた。どうしてそんなに、と尋ねると危険な薬だからとのことだった。容量を間違えると大変なことになると。

 1週間の入院が終って退院するときはへろへろになっていた。入院する時は電車と徒歩で病院へ入ったが、退院するときは娘に介護されてタクシーで帰宅しなければならなかった。普通は入院する時が弱っていて、退院する時は元気を取り戻している。だから退院するのだが。

 抗がん剤治療の入院ではこれが逆だった。元気な状態で入院しへろへろになって退院する。抗がん剤はがん細胞を攻撃して小さくするのだが、同時に健康な細胞も攻撃されてしまう。生長する細胞が攻撃されるので、体毛の生長も爪の生長も止まる。口内炎がひどくなり、便秘や下痢も半端ない経験をする。歩行にも困難をきたす。

 抗がん剤治療の入院は3回が限度だと言われた。体が耐えられないと。その3回目の入院から退院するときは、本当に参っていた。帰宅してすぐベッドに横たわった。何も考えるゆとりがなかった。

 入院する時、ゆっくり本が読めるのではないかと何冊も持ち込んだが、そんなゆとりはなかった。

 退院したのが12月31日の大晦日で、正月3日に友人たちが浅草へ遊びにきがてら見舞いに行きたいと言ってくれた。即座に断った。友人とは言え、人と話すゆとりがなかった。家族に看病されるのが精いっぱいだった。ただただ寝ていた。3回目の抗がん剤治療から退院したこの時が最悪の健康状態だったのだ。

 この経験から、がんが悪化して亡くなる前の状態が容易に想像できた。友人とは言え、とても談笑する気分ではないと思う。だから、まだ元気なうちに会って話したいと思うのだ。

 ただ、今年の1月に亡くなった映画監督は、亡くなる1時間前まで病院で家族と普通に話していたという。そのような状態だったら、見舞いも受け入れられるかもしれない。

 冷たいようだが、私の経験したような状態では誰にも会いたくなかったのだ。

 抗がん剤治療を3回終えたあと、自宅療養を5週間行って元気を回復したところで手術を受けた。手術は食道を切り取るという大変なものだったが、抗がん剤治療の入院と異なって、体力をかなり回復して退院した。その後は一応順調に日常生活を取り戻している。抗がん剤による足の痺れという後遺症は残っているが。