フリードリヒ・グルダ『俺の人生まるごとスキャンダル』を読む

 フリードリヒ・グルダ『俺の人生まるごとスキャンダル』(ちくま学芸文庫)を読む。グルダはウィーン出身の20世紀を代表するピアニスト、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集やモーツァルト、バッハなどクラシックの名盤を数多く録音したほか、作曲やジャズの演奏も行っている。

 タイトルから想像できるようにかなり大胆に本音を語っていて面白い。

 ホロヴィッツは正直なところ、いつもあまり好きにはなれなかった。ああいうふうにバリバリ弾きまくる演奏に対しては、俺は自分が受けたウィーンでの教育によって、免疫を与えられていたんだ。(……)なるほどたしかにあのピアニストはすごく速く、すごく大きな音で、まあ、たとえばチャイコフスキーなんかを弾きまくることができるし、そのうえ、トスカニーニの娘と結婚することだってできる。でも、彼はいちばん肝心な音楽というものについては、遺憾ながらほんのわずかしかわかっていない、っていうことなんだ。(……)俺としては、彼の演奏に感銘を受けたことは居一度もなかったんだ。(……)

 そこへいくと、ルービンシュタインは違ってた。彼はチャーミングなところがあったし、やたら弾きまくるタイプじゃなかった。非常に端正なピアニストなんだけど、どこかきらくなくつろいだ雰囲気があった。(……)彼の演奏も俺とは違う流派の演奏だけど、そこにはもの狂おしいファナティズムはないし、やたらバリバリ弾きまくるあのいやな趣味もない。完璧な演奏をする人だけど、彼はいつも世慣れた紳士という感じだった。(……)それにルービンシュタインは――俺はそのことをとても重視するけど――ピアノという楽器をきれいに響かせることができる。タッチがいいわけで、ようするに音がきれいなんだ。この点に関して俺がしんそこ感心するのは、ルービンシュタインミケランジェリの両氏の名人技だね――ま、俺自身については、謙譲の美徳をもって除外させていただくけど、彼らが弾けばピアノは鳴る。素晴らしい音で鳴るんだ。

 

 グルダアメリカのキンバル社に買収される前のベーゼンドルファー社のピアノを絶賛する。そして日本のピアノについては、

 日本製のピアノについても触れておこう。リードしているメーカーはヤマハで、かなり距離をおいて次にくるのが、ええ、なんていったっけ――そう、カワイだった。これはだいぶ差があって3流ってとこかなあ。でも、ヤマハはがんばってるよ。俺自身としては、スタンウェイやベーゼンドルファーと本当の意味で品質をくらべられるヤマハのピアノってのは、まだお目にかかったことがない。

 

 現代音楽について、

「現代音楽」ということになると、そこにあるのは、重苦しい落ち込みの気分と自殺傾向なんだ。「現代音楽」とはストラヴィンスキーとか、バルトークとか、シェーンベルクとか、シュトックハウゼンとか、ブーレーズ等々の音楽のことだ、と思っている人が多い。俺のピアニスト仲間たちのなかにも、嘆かわしいことにそう思っている奴が少なくなくて、自分で弾いたりもしている。でも、俺から見れば、そういうのは精神的自殺だよ。ところが、多くのクラシック馬鹿たちは、聴き手も批評家も、それがわかっていない。連中は、彼等だけのおぞましいゲットーの中で生活してるんだ。

 

 グルダは教師をするのが嫌いだという。生徒はみんなヘタだから。グルダはヘタな音楽は嫌いだという。だが、マルタ・アルゲリッチは違った。

(……)ママ・アルゲリッチが、(神童だという)12歳になる娘のマルタを連れて、俺のところへやってきたんだ。俺は、まあちょっとピアノを起用に弾くくらいの、たいしたこともない子供なんだろう、と思っていた。すごく可愛い子だから、俺も少しは愛想が良くなって、「何を弾いてくれるの? どこでピアノの勉強をしたの?」って、やさしく訊いた。緊張を解いてやろうと思ったんだ。こうして彼女は子供らしい素直さでシューベルトを弾いた。もう、驚いたのなんのって。神童ってものが、本当にいたんだよ。

 

 この他、17歳のときに最初の女性から受けた手ほどきのことも面白かった。いや、そのほかにも興味深いエピソードが満載だった。グルダベートーヴェンを聴いてみよう。