青柳いづみこ『ピアニストたちの祝祭』を読む

 青柳いづみこ『ピアニストたちの祝祭』(中公文庫)を読む。これは2014年に出版された単行本の文庫化。単行本を読んだときにブログに紹介したが、今回手抜きしてそれを再録する。


 青柳いづみこ『ピアニストたちの祝祭』(中公文庫)を読む。自身もピアニストであり、文筆家でもある青柳のピアニスト論は読んでいつも楽しく、しかも教えられることが多い。本書は主に雑誌『すばる』に書いたエッセイをまとめたもので、音楽雑誌に書く場合と違って、400字詰め原稿用紙で30枚から40枚も書くことができた。このため一つの章がとても充実している。ピアニスト論としては、ポリーニアルゲリッチバレンボイム内田光子など大物が取り上げられているが、フジ子ヘミングについて書かれているのが目を引く。フジ子(青柳が姓のヘミングでなく名前で書いているのに倣った)は、クラシック音楽を演奏して高い人気を誇っている。何しろ1,500席の大ホールが埋まるほどなのだ。しかしクラシック音楽界からは「タレント」と見做されていて、クラシック専門誌には記事は載ってもコンサート評は載らないという。CDは何度も「アルバム・オブ・ザ・イヤー」に輝いているが、レコード雑誌の批評には取り上げられないし、日本演奏家連盟の名簿にも名前はない。
 そんなフジ子の演奏を正面から取り上げて批評している。これだけでも読む価値があるのではないか。それも1回や2回聴いただけではなく、地方の公演まで聴きに行っている。そして単純に否定したり称揚したりするのではなく、個々の演奏について丁寧に分析している。
 しかし、やっぱりおもしろいのはポリーニ論であり、アルゲリッチ論や内田光子論だ。ポリーニ論は「完全無欠のピアニストが歌うまで」と副題がつけられている。その末尾で青柳は書く。

 すでに70年代の「完璧な」ポリーニはいない。2曲弾かれたベートーヴェンソナタでは、指が走りすぎ。ミスも多く、制御がきかないところも散見された。
 しかし、ポリーニの造形力は少しも衰えていない。彼の一番の美点は、調性音楽でも無調音楽でも、和声的な書法でもポリフォニックな書法でも、作品をその骨格においてとらえ、時間軸をも考慮に入れながら寸分の狂いもなく組み上げてみせるという、まさにそこのところにある。そして彼の建築物は、録音でも録画でもなく、会場の鳴り響く空間に身を置いて初めて体感できるのだ。
 そのことはシューマン『幻想曲』でもよくわかった。第1楽章の息の長い主題は、ポリーニにしては珍しく横に、時間的なルバートをかけて弾かれたが、第2主題は立体的な対位法のお手本のような弾き方だ。上声はあくまでもきらめき、それに呼応する内声、全く独立した人格のようなバス。バスが非常に深く、ソプラノが非常に輝いているので、よけいに立体感がつき、彫りの深い音響建築にきこえたのだろう。圧巻だったのが、中間部「伝説のように」の左手にスタッカート(音を切る奏法)のはいってくるところ。縦方向へのひろがり、底のほうでバスが蠢き、はるか上方でソプラノが歌う。宙ぶらりんの内声部。

 アルゲリッチがヴァイオリンのドーラ・シュバルツベルクと演奏したドビュッシー『ヴァイオリン・ソナタ』について、

 オールド・スタイルの「ずりあげるような」ポルタメント、細かいちりめんヴィブラートを多用するドーラの耽美的なヴァイオリン。あるときは霧、あるときは鐘のように、またグロテスクに、扇情的に……と瞬時に変化するマルタのピアノ。伸縮自在のドーラに対して、マルタは要所要所でキューを出し、テンポを定める。ちょっとした弓の引きかた、ヴィブラートの加減、ニュアンス、息づかいなどで察知するらしく、ルバートを多用しながらも面白いように呼吸が合う。
 1楽章が終わったあと盛大な拍手があったが、かまわず2楽章のイントロがはじまった。神経症に冒されたロデリック・アッシャーの叫びのようなヴァイオリン。不気味なスタッカートでとばしていくドーラに対して、マルタはわざと遅めのテンポでたづなをとる。墓の彼方から歌うマデライン姫のアリアのようなモティーフを二人がユニッソンで歌いあげるシーンでは、体中がぞくぞくして震えがとまらなくなった。3楽章もテンポの変化が多く、縦線を合わせるのがむずかしいはずなのだが、ヴァイオリンとピアノは双子の姉妹のようにぴたっと吸いついていた。それにしても、アルゲリッチの舵取りのうまいこと。何となく、共演者そっちのけで弾きまくるというイメージがあったので、びっくりした。

 演奏技術についても具体的な指摘で、分かりやすく本当に教えられる。
 青柳のピアニスト論はどれを読んでも外れたためしがない。『翼のはえた指―評伝 安川加寿子』『ピアニストが見たピアニスト』『グレン・グールド―未来のピアニスト』『アンリ・バルダ―神秘のピアニスト』『我が偏愛のピアニスト』と、いずれもきわめておもしろかった。