青柳いづみこ『我が偏愛のピアニスト』を読む

 青柳いづみこ『我が偏愛のピアニスト』(中央公論新社)を読む。青柳は現役のピアニストにして文筆家、ピアニストをはじめとする音楽に関する著作が多い。恩師を描いた『翼のはえた指 評伝安川加壽子』では吉田秀和賞を受賞し、仏文学者の祖父を描いた『青柳瑞穂の生涯 真贋のあわいに』では日本エッセイストクラブ賞を受賞している。神に愛されているような二物を与えられた人なのだ。
 本書では日本人ピアニスト9人にインタビューし、最後に練木繁夫と対談している。取り上げられた9人のピアニストは、岡田博美小川典子小山実稚恵坂上博子、廻由美子、花房晴美、柳川守、藤井快哉海老彰子で、男性3人、女性6人だ。
 青柳がプロのピアニストなので、演奏の技術的なこととか、曲の解釈についてとか、教授法、師についてなど、具体的な突っ込んだ会話が紹介されていて興味深い。小山実稚恵の章で、

 2009年の6月20日には、そのブラームスソナタ第3番』を弾いた「ピアノで綴るロマンの旅」第7回を聴きに行った。(中略)
 とりわけ美しかったのは第2楽章だ。恍惚としたハーモニー、溶け消えるようなピアニッシモ、そしてずしんと重いフォルテ。非常に立体的な音響設計だった。(中略)
 アンコールで弾かれたのは、ショパン『ピアノ協奏曲第2番』の第2楽章。本来はオーケストラが奏でる前奏部分から弾き始めたときは何が出てくるのかと思ったら、最近評判のエキエル版による一人版。これがすごかったのだ!
 ブラームスで研究したオーケストラ的な響きを駆使して、その上にショパンの甘美な旋律を乗せる。歌い方はしっとりと旋律に沿い、ブラームスシューマンのときのように先を急ぐようなこともなく、たゆたい、音は見事に歌い、真珠のように粒がそろっている。曲に対する愛情、真ごころのようなものが伝わってきた。

 1990年にパリで録音した海老彰子のCD、ショパンの『練習曲集(全27曲)』(カメラータ)は名盤で、青柳もくり返し聴いているという。

 作品25の12曲を通じて印象的なのは、技巧のための技巧に堕することなく、また人工的な解釈に走ることもなく、すべてが音楽的で自然だということだ。とりわけ耳をひくのはポリフォニー(多声部)の引き出し方である。旋律だけではなく、和声、リズムが一致協力して広義の対位法をかたちづくる。
 たとえば第1番「エオリアン・ハープ」でも、右手のメロディと左手の内声を対峙させ、バスがそれをしっかり支える。第4番のように大胆な跳躍をくり返す難曲ですら、バスと和声、そこから派生するメロディを立体的に配し、自在に動かしている。第10番でも、オクターヴの間に見え隠れする内声がていねいにフレージングされる。旋律線と左手の内声が親密な対話をかわす昼間部はとりわけ楽しい。

 タイトルの「偏愛」は取り上げなかったピアニストたちに対するexcuse=言い訳だろう。
 青柳いづみこは好きな著者で今まで何冊も読んできた。このブログに紹介した主なものを挙げると次のようになる。
青柳いづみこの『グレン・グールド』がすばらしい(2012年11月22日)
青柳いづみこ「翼のはえた指」−−弟子の書いた優れた評伝(2010年2月27日)
青柳いづみこ「ピアニストが見たピアニスト」(2010年2月19日)
ピアニストが読む音楽マンガ(2008年3月9日)
ベートーヴェンはあんこう鍋(2008年1月16日)


我が偏愛のピアニスト

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